大阪高等裁判所 平成3年(ネ)824号 判決 1993年1月28日
控訴人
西山正彦
右訴訟代理人弁護士
菊池逸雄
佐々木寛
被控訴人
株式会社講談社
右代表者代表取締役
服部敏幸
被控訴人
田代忠之
被控訴人
米本和広
右三名訴訟代理人弁護士
金住則行
櫻田喜貢穗
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 被控訴人らは控訴人に対し、別紙第一目録記載の謝罪広告を、被控訴人株式会社講談社出版の月刊雑誌「現代」に、一頁の三分の一の大きさをもって、同目録記載の「謝罪広告」とある部分は二倍ゴシック体活字を、その余の部分は1.5倍明朝体活字を用いて一回掲載せよ。
2 被控訴人らは連帯して、控訴人に対し金五〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 控訴人の被控訴人らに対するその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一、第二審を通じこれを一〇分し、その一を被控訴人らの、その余を控訴人の各負担とする。
三 この判決の第一項2は、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の申立て
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2(一) 被控訴人株式会社講談社(以下「被控訴人講談社」という。)、被控訴人田代忠之(以下「被控訴人田代」という。)、被控訴人米本和広(以下「被控訴人米本」という。)は、控訴人に対し、別紙第二目録記載の謝罪広告を、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞の各全国版及び京都新聞の朝刊に三段抜き二分の一頁をとり、月刊雑誌「現代」に全段一頁をとり、それぞれ「謝罪広告」とある部分は三倍ゴシック体活字で、その余の部分は1.5倍明朝体活字で相応の字隔をとって各一回掲載せよ。
(二) 被控訴人らは連帯して、控訴人に対し五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、第二審を通じ被控訴人らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
第二 当事者の主張
当事者の主張は、次の一のとおり訂正し、二のとおり当審における補充的主張を付加するほか、原判決事実摘示第二記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決三枚目裏六行目の「会議から」を「会議開始から」に、同行の「会場入口」を「会場入り口」に、五枚目裏八行目の「符号する」を「符合する」に、六枚目表四行目の「西山と塚本が」を「西山と塚本とが」に、同裏末行の「同頁本文下段」を「同頁本文中段」に各改め、七枚目表二行目の「二人は去るが」の次に読点「、」を加え、八枚目裏五行目の「このとき」を「このときに」に、一一枚目表四行目の「四十年の」を「四十年に」に、十四枚目表一行目の「するにつき故意は勿論過失もなく、」を「したことについては、違法性がないか、故意、過失がなく、」に各改める。
二 当審における補充的主張
(控訴人)本件記事の悪質性について
本件記事は、極めて偏頗な報道姿勢すなわち古都税反対運動に対する中傷と控訴人に対する差別的反感によって貫かれ、それがために虚構の事実を報道し、控訴人に対する誹謗、中傷のみを好んで選択して報道している。
本件記事の特徴は、端的に言って、「始めに偏見ありき」なのである。また、本件記事は、控訴人の名誉を毀損する噂、推測、一方当事者の主観のみを選択的に取り出して報道しているものであり、あろうことか、始めに在る偏見に合致するように、虚構の事実をノンフィクション記事風にデッチ上げ脚色していることも特色である。本件記事のそのような悪質性は以下の1ないし3のとおりである。
(被控訴人らの反論)
被控訴人米本の取材態度、執筆態度は、本件記事中の控訴人指摘の各記事部分について、仏教会幹部及び控訴人が報道機関と一切の接触を絶っていた状況下で、可能な限りの情報源に複数取材しており、また、予備取材に一〇日以上、現地取材に一週間、原稿化に一週間を費やすというように月刊雑誌としては比較的長く取材し、取材した情報のうち確実と思われる情報のみを記事とし、確認の取れなかった情報はあえて記事にしないという方針をとったものである。推測にわたる部分も、十分な取材によって確信が持てる事実を基礎としつつ、当時の状況、情報提供者の信用度、控訴人の八八和解(古都税問題に関して京都市側と京都仏教会との間で昭和六〇年八月八日に成立した和解をいう。以下同じ。)への関与の程度等を勘案して慎重に推測したものである。これに対し、控訴人は、被控訴人米本が再三にわたり取材を申し込み、反論の機会を提供したにもかかわらず、取材を拒んだのである。本件記事から汲み取れるのは、被控訴人米本の民族的な被差別に対する善意の理解と朝鮮人を差別する日本人への怒りでしかない。確かに本件記事は控訴人の行為を否定的に評価しているが、そこには差別的反感とか誹謗、中傷の意図は全く存在しない。
控訴人の主張は、被控訴人米本のルポライターとしての全存在を否定するものであり、許し難い中傷である。被控訴人米本は、取材対象に偏見を持たないで取材できるかどうかがルポライターに問われている資質であると考えていたし、実際偏見を持たずに取材した。始めに偏見があったのではなく、取材過程を通じて真実を知ったのである。
被控訴人米本は、当初、古都税反対の闘いは信教の自由を守る闘いであると思っていた。しかし、取材を重ねるうち、この闘いは控訴人を軸に動いている信教の自由とは関わりのない別の側面をもっていることを知った。しかも、その動きは全く秘密にされていた。控訴人は裏面の古都税反対運動の実質的な指導者であった。被控訴人米本は、控訴人の存在と裏面の古都税反対運動(古都税問題の真相)を公にしなければならないと考え、本件記事を執筆したのである。
1 全くの事実無根の記事
本件記事のうち以下の①ないし⑩の部分は、虚偽を故意に記述するものであって、取材不足によるものではなく、読者をして控訴人に偏見を抱かせる目的で、悪意に基づいて書かれたものである。
①「会議開始から一時間後、会場入り口で記帳した署名簿がそのまま念書に変わる。謀略以外の何ものでもなかった。この念書を持って、会長の東伏見と理事長の松本は相国寺を飛び出した。」(一五八頁上段一五行目ないし二〇行目)
このような虚構の事実を記述したのは、「魑魅魍魎然とした一つの構造」(一五五頁下段二〇行目ないし二一行目)があることの根拠とする意図に基づいているのであり、控訴人に対するマイナスイメージを読者に抱かせて本件記事全体の控訴人に対する否定的記事を真実らしく読者に受け止めさせる役割を果たしている。文書偽造という刑事犯罪を構成する事実を平気で報道すること自体、公正さが欠落している証左である。
被控訴人らは、反対者がいたにもかかわらず京都仏教会の「総意」を作ってしまったなどと反論するが、京都仏教会は任意団体であるから、八八和解に反対であれば脱退するだけのことであり、要は、京都仏教会の大勢が八八和解に賛成であればそれでよく、「総意」が八八和解の必要条件ではない。控控訴人らが被控訴人米本は「京都市側は対象寺院のすべてが和解案に同意したことの根拠を求めるはずであると考え」たというのは、いかにも本件記事特有の独断である。
ニュースソースの長尾憲彰(常寂光寺住職)自身、署名簿が念書に変わったと推測したことを否定している。
対象寺院会議の出席者の顔が分かるのは、僧侶が出席する場合であり、八八和解当日の対象寺院会議では各寺院の檀信徒代表も出席したので、出席者の顔がすべて分かるわけではない。
(被控訴人らの反論)
八八和解に向けての交渉は、控訴人を中心にすべて隠密裡に行われてきた。そして、昭和六〇年八月八日、古都税対象寺院会議が開かれ、突然種明かしされることになる。まず、会議に先立ち、出席者全員が署名させられる。古都税反対闘争は三年にも及んだが、署名簿作成は初めてのことであった。控訴人が古都税問題の指導者として初めて紹介され、和解案についての説明に先立ち、開口一番、門を開けてよろしいと述べて出席者を喜ばせ、そして和解案を説明した。南禅寺総長の松浦は憤然と席を立ち、長尾憲彰は異議を唱えたが、控訴人は、時間がないとの一点張りで和解案を押し通し、京都市との和解を成立させたのである。会議というのは予め議題が知らされ、十分討議検討の時間が確保されなければならない。突然種を明かし、時間がないと反対意見を封じ込め押し切るやり方はおよそ会議といえるものではなく、京都市との和解に向けて演出させたものにすぎない。
被控訴人米本は、長尾や地元記者からの取材によって、右のような八八和解に向けての一連の経過、八月八日の対象寺院会議の位置づけないし性格、署名簿の作成が異例であったとの事実、更には署名簿には何らかの使用目的があるに違いないこと、たぶん八八和解のために京都市側を納得させる資料とされたであろうとの長尾の認識を知り、これら取材の結果に基づいて「署名簿がそのまま念書に変わる」と推測したものであり、これ以外に合理的な推測は考えられない。
京都市としても対象寺院会議の結果賛同が得られたというのでなければ和解できないから、その賛同の証拠として署名のある書面が必要だったのであり、ここに署名の必要性があり、署名簿を念書に変える必然性を認めることができる。出席者の顔触れは決まっているのであるから、署名をしなければならない合理的な理由は見当たらない。控訴人は、檀信徒代表も出席したので出席者の顔がすべて分かるように署名させた旨主張するようであるが、出席者全員に顔ぶれを分からせるのであれば、出席者の席上に「○○寺信徒代表」というようなプレートを置けば済むことである。会議の直後に京都市と和解することになっているという状況を抜きにしては、署名簿を残すことの意味を語ることはできないのである。
被控訴人米本は、京都仏教会が任意団体にすぎないことを考慮し、京都市側は対象寺院のすべてが和解案に同意したことの根拠を求めるはずであると考え、署名簿が念書に変わったという長尾の推測した事実を真実と判断したものである。
仮に署名簿が念書に変わったという事実がなかったとしても、八八和解当日の対象寺院会議においては、わずか一時間あまりの間に、出席者にとって全く未知の人が登場し、その人が和解案を提案し、議論も不十分なまま、賛否もとらず、反対者がいたにもかかわらず、京都仏教会の「総意」を作ってしまったのである。これは「謀略」と呼ぶにふさわしい事実である。
②「取材に応じた人もニュースソースの秘匿が絶対の条件だった。複数の人は『どんないやがらせがあるか分からない。誰が秘密をもらしたか、執念深くつきとめるような男だ』と心から怯えていた。しかし、西山の手足となった僧侶達は口の軽い俗物人間である。秘密は少しずつ漏れ、構造は徐々に解明されていった。」(一五八頁下段六行目ないし一五行目)
「四人の共通点は古都税闘争では『過激派四人組』、私生活では『ゴルフ仲間』『夜の遊び好き』(僧侶、祇園のママの話)にある。」(一六〇頁上段一行目ないし五行目)
ニュースソースの秘匿が絶対の条件だったという部分もまた、噂、無責任な憶測を真実らしく読者に受け取らせる脚色である。情報提供者が虚偽又は悪意の中傷、無責任な憶測をなしているのであるから、名前を出さないでくれと言っても、何の不思議もない。
控訴人の妻は、被控訴人ら主張のように怒鳴り込むタイプの人柄ではない。被控訴人らは、カメラマンの北山康弘が控訴人から暴行脅迫を受けたと主張するが、盗撮という違法行為を行った以上、相当の反撃があることは当然である。ニュースソースを秘匿しなければならないような記事部分は、裏付け取材に欠けるということである。
四人組と呼ばれた僧侶達も中傷しているが、同じ中傷を浴びせた「週間新潮」の記事(これは被控訴人米本が執筆してボツになった<書証番号略>が底本である。)については、新潮社は、謝罪広告を出し二〇〇万円の和解金を支払っている。本件のような無責任かつ悪意に満ちた記事のニュースソースがこれらの僧侶たちであるわけがない。
本件記事部分②のうち前半部分は、後記3の否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事でもある。
本件記事中には清瀧(仏教会常務理事で広報担当)が被控訴人米本に対し、控訴人を知らないと述べたという部分があり(一五九頁下段、一六一頁下段)、被控訴人米本も原審において清瀧から取材した旨供述しているが、清瀧は、当審における証人尋問において、被控訴人米本から取材を受けた記憶はないとし、当時マスコミに対してはテレビ局と新聞社以外には会っておらず、雑誌、週刊誌で取材に応じたのは新潮社の電話取材のみ記憶があると明言しているのであって、清瀧がこの点についてことさら虚偽を言わなければならない理由はないから、これらの記事部分は捏造記事というほかない。
被控訴人米本が清瀧から取材した際のメモという<書証番号略>では、清瀧は「ノーコメント」と答えたと記載されているのに、本件記事においては、「八月八日の会議に西山が出席したことについて問うと、頬の筋肉をピクつかせながら、『そんな男は知らない。出席した事実もない』と語った僧侶である。」などと中傷しているのであり、本件記事の特色である恣意的な脚色、虚構報道を十分に立証している。
(被控訴人らの反論)
「取材に応じた人も……心が怯えていた」との部分は、控訴人から実際に嫌がらせを受けたことのある人も含め、複数人から取材している。本件記事が「現代」に掲載された後、被控訴人米本から取材を受けた人が控訴人の妻に怒鳴り込まれ、「若い者を連れてくる」と脅かされたという事実、被控訴人講談社が依頼したカメラマンの北山康弘が取材中、控訴人から暴行脅迫を受けた事実は、控訴人の人間像を雄弁に物語っているのである。取材に応じてくれた人も、控訴人の人間像をよく知っているからこそ、ニュースソースの秘匿を取材の条件にしたのである。
四人の僧侶たちに関する記述は、控訴人に対する名誉毀損の問題は生じない。「週刊新潮」の記事の参考にされたといわれる米本原稿は、被控訴人米本が一二名の人に送った私信であるが、その原稿を参考にしたにせよ、引用したにせよ、裏付け取材をせずに記事にしたのであれば、新潮社が責任を負うのは当然であるが、本件記事は右原稿や「週刊新潮」の記事とは全く別の物である。
清瀧の証言は全く信用できない。広報担者に取材を申し込むのが取材のイロハのイであるから、被控訴人米本は清瀧に取材を申し込み、名刺(<書証番号略>)を交換して取材している。被控訴人米本が清瀧から取材した際のメモ(<書証番号略>)には、清瀧から取材しなければ分かりようのない事実が含まれている。控訴人と清瀧の仏教会における関係からすれば、清瀧が被控訴人米本を捏造記事を書くルポライターであると印象づける役割を果たすことは、当然ありうることである。
③「西山が金の側面からも援助しようとしていたことは間違いない。拝観停止を行った四人組の関連寺院だけに、期間中、西山から補償金として金が流れたという話も伝わっている。」(一六〇頁下段二行目ないし六行目)
この記事部分は、控訴人が金欲がらみで古都税問題に関わっていると読者に連想させる。
被控訴人らは、「四人組関連寺院だけに西山から金が流れた」云々と主張するが、それなら、四人組関連寺院だけが潤ったとかいう事実を裏付け取材して提示すべきである。
(被控訴人らの反論)
八八和解の直後、誰もが困惑している状態にあったとき、被控訴人米本は、仏教会関係者から、「四人組関連寺院だけに西山から金が流れた」という話を聞き込んでいた。その後、塚本幸一から取材し、塚本は、約束の取材時間を大幅に越えて、自分自身の恥になること、すなわち控訴人に翻弄された事実を被控訴人米本に語ってくれた。被控訴人米本は、塚本の率直な態度、控訴人とのかかわり、その社会的な地位から情報提供者としての信用度は高いと判断した。控訴人が「金の面からも援助しようとしていたこと」は、塚本が直接見聞した事実である。仮に真実でないとしても、真実であると信ずるについて相当の理由がある。この塚本の話は、被控訴人米本が仏教会関係者から聞き込んだ話とピタリと符合したのである。
被控訴人米本は、控訴人のいうように四人組関連寺院だけが「潤った」などとは書いていないし、しかも、「……という話も伝わっている。」と慎重な表現をしているのである。
この記事部分は、後記④の記事部分とともに、古都税反対運動を戦略面ばかりでなく、金銭面でも援助しようとしていた控訴人を描き出そうとしているのであって、利権がらみで運動に関わっているとの印象を読者に植えつける意図はない。むしろ、被控訴人米本は、単なる利権漁りでないのではないかと考えていたのである。
④「もう一つ、符合するのは西山が妻の芳子に、あるとき『欲の深い坊主らに、机の上にどんと三十億円積んだら、びっくりするやろな』と語り、二人で高笑いしたということだ。」(一六〇頁下段七行目ないし一一行目)
この記事部分も、控訴人が利権がらみで古都税運動に関わっているという印象を読者に植えつける。
このような話は、見てきたような嘘が巷間流布されぬ間におもしろおかしく脚色されるものである。被控訴人米本が誰かから聞いたことは真実と仮定しても、記事にする神経を疑うものである。
(被控訴人らの反論)
この記事部分は、「金の面でも援助しようとしていたこと」を裏付ける事実の一つとして紹介したものであり、控訴人が妻に語った場面を目撃した人から直接取材したものではないが、その人から話を聞いた人から取材したものである。
被控訴人米本は、控訴人のいうように巷間流布されている話を拾ったものではなく、伝聞ながら確かな情報に基づくものであり、しかも、表現の仕方にも配慮している。
⑤「だが、性急に解決を求める塚本に見切りをつけた。恐らく、おいしい情報はもらったはずだ。『西武など大手がどこを狙っているか、情報は仕入れたはずだ。それで宝ケ池の後方の岩倉地区で土地を買い漁っているかも知れない』(地元の不動産屋)」(一六一頁中段一一行目ないし一七行目)
この記事部分は、控訴人が利権漁りをしているという虚偽を読者に信じ込ませるものである。
これは、後記2の無責任かつ悪意の推測記事でもある。「情報は仕入れたはずだ。」と虚構を断定的に記述して、控訴人の古都税反対運動への関わりを中傷している。
控訴人が岩倉地区に土地を所有しているのは事実であるが、テニスコートとして市民に開放している。この岩倉地区のテニスコートと宝ケ池のプリンスホテルとに何の関係があるというのであろうか。
(被控訴人らの反論)
この記事部分は、地元の不動産屋と控訴人をよく知っている人から取材した事実である。被控訴人米本は、控訴人が岩倉地区の土地を買っているという裏付けを取ったうえで、真実と判断した。もっとも、この記事部分は、塚本が控訴人に翻弄された関係を描き出している部分であり、しかも、控訴人の正業は不動産業であるから、塚本から情報を入手すること、あるいは土地を買い漁っていることが控訴人の社会的評価を下げるものとは考えられない。
宝ケ池は風致地区であり、西武プリンスホテルの進出は塚本が誘致し尽力して実現した経緯がある。塚本と親交のあった控訴人が同人から情報を入手し、発展が期待される後方の岩倉地区の入手を考えるのは不動産業者として当然のことである。なお、テニスコートを有料で貸しているのであれば、それは事業であり、「市民に開放」しているとはいわない。
⑥「西山と大宮が結ばれる仲介人は誰か。」(一六二頁中段一七行目ないし一八行目)と気を持たせて、大山進なる人物の悪口を並べ立てておいて「大山と西山は同胞として旧知の間柄である。」(一六三頁上段一三行目ないし二二行目)
大山と控訴人とは取引関係もなければ知人でもない。
(被控訴人らの反論)
大山と控訴人との関係については、本件記事中の一六八頁中段に出てくる「謎かけをしてくれた情報通」(この人の所に控訴人は出入りしていたことがある。)、及び京都市役所の元助役(城守ではない。)からの取材に基づいている。元助役は、被控訴人米本に「二人で慶州という焼肉屋から出てくるのを見た。」と述べた。
もっとも、大山との関係が控訴人の社会的評価を低下させるものとは考えられない。
⑦「日本人を見返してやりたい」との小見出し(一六三頁中段一九行目)、悲惨な少年時代、発破かけの仕事、山を転々として寝泊まりするところもない、就職差別、看板屋など職業を転々、差別された姉、店を借りようにも足蹴、屈辱的言辞などと並べ立てて、もっともらしく「日本人を見返してやりたいと考えるようになった」(知人)(一六四頁上段二行目ないし中段二行目)
控訴人が日本人に敵対感情を持つことをデッチ上げれば、読者も控訴人に反感を持たされることは自然な反応である。しかも、控訴人が古都税反対運動を利用して利権漁りをしているという虚偽報道の全体構造の中で、控訴人の動機付けとして説明されているのである。
この記事部分は、本件記事部分⑥と合わせ、後記2の極めて無責任かつ悪意の推測記事でもあり、3の否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事でもある。控訴人に対する否定的文脈においては、明らかに在日韓国・朝鮮人に対する差別意識を覚醒助長するものである。
控訴人は、中学から立命館中学に通学しており、いわゆる「お金持ちのボン」なのである。控訴人の父は鉱山経営者であって、控訴人が父とともに山を転々としていたわけでない。右記事部分は、事実ではないから、控訴人の少年時代を知る人がそのように語るわけがない。
(被控訴人らの反論)
控訴人の生立ちから「日本人を見返してやりたいと考えるようになった」経緯については、昭和六〇年八月一三日の夜、寺の土地についての事情を取材するため、控訴人をよく知る金融業者を訪ねたが、その際金融業者の息子から控訴人の生い立ち等について情報を得、更に、同月一六日と一七日、浦和市に戻ってから、金融業者の息子から紹介された立命館時代の控訴人の同期生及び三協の共同出資者の母親に電話取材をして、記事にしたものである。
差別を受けた人は、心の奥底では当然差別をした日本人に好ましい感情を抱かない。「日本人を見返してやりたいと考えるようになった」のは当然であり、その事実が控訴人の社会的評価を低下させるとは考えられない。被控訴人米本は、高校時代、国籍が韓国であるがために国体に参加できなかった友人をもっており、就職にも障害があったことから、彼の悲しみを知り、差別を憎むようになった。被控訴人米本は、国籍による差別が全く意味のないことを自分の子供に教えるために、七五三の晴れ着にチマチョゴリを着せているのである。
⑧「金を稼いでゆく手口に今回の西山の動きの原始的パターンが見られる。」(一六四頁下段一行目ないし二行目)
「西山商法の被害者の一人は、不動産の仲介をしてもらったことから西山と知り合い、信用し、金を貸した。しかし、返済されず、この人は世間体からも公けにすることができず、弁護士を間に立て、一年かけて元金だけを取り返すことができた。」(一六四頁下段三行目ないし九行目)「三協をつくった三人のうち一人は、自分の土地を取られている。自分も代表役員の一人であったため、問題にすることができなった。こうした話は随所で聞いた。」(一六四頁下段一〇行目ないし一四行目)
この三つの記事部分は、いかにも控訴人が悪辣な手口で金を稼いでいるかのような印象を読者に与えるものであり、それ自体は具体性を欠いているが、前後の記事と相まって控訴人に対する中傷の一部をなしていることは明らかである。
冒頭の記事部分は、本件記事部分⑬と合わせて、後記3の否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事でもある。
控訴人に金を貸したことにつき、「世間体からも公けにすることができず」という理由が全く分からない。
土地を取られたという記事部分について、どこに被控訴人ら主張のようにニュースソース秘匿の配慮があるのであろうか。その土地を取られたという元代表者に、控訴人からいくらの代金を受け取ったのか調査していれば、それが時価よりどれほど高かったか分かるはずである。
(被控訴人らの反論)
この記事部分は、三協を設立した三人のうちの(控訴人以外の)一人及び他の一人の母親から、三協設立の経過、事実上の倒産に至る経過、控訴人の人柄などについて、それぞれ一時間、四〇分かけて具体的なことまで聞き、それをもとに他の取材もして真実と判断したものである。それにもかかわらず、表現が抽象的にならざるをえなかったのは、両者ともに控訴人を恐れており、ニュースソースが漏れないように配慮する必要があったからである。
「世間体からも公けにすることができず」とは、金を貸した側に法的な弱みがあって公にできないという意味である。
⑨「当然、相続税が問題となる。息子の真興にこのとき西山がからんだのが、京都仏教会との関係の実質的スタートと見られる」(一六六頁上段二行目ないし五行目)
控訴人と大西真興(清水寺執事長)とが結びついたのは古都税反対運動に関わったからであり、この記事部分も、読者に控訴人に対する反感を植えつけたものである。
この虚偽の記事は、一六五頁下段七行目ないし九行目の「西山が寺院とつき合うウマミを覚えたであろうことは想像に難くない。」という文脈の中で登場する胡散臭い記述なのである。
(被控訴人らの反論)
この記事部分は推測であるが、控訴人が広い人脈と不動産業者としての実績をもって仏教会に食い込んでいった経過を述べたものにすぎず、控訴人の社会的評価を低下させるものではなく、読者に反感を植えつけるものでもない。被控訴人米本は、控訴人が、なぜ、どのような形で、いかなる目的をもって古都税反対運動に関わっていったのか、に関心を持ち、その中で控訴人が仏教会と関係するようになった契機を知りたいと思い、何人もの人の話を総合して、大西良慶(清水寺前管長)が亡くなり、相続問題が発生したときと推測したのである。
「西山が寺院とつき合うウマミを覚えたであろうことは想像に難くない。」との記事部分は、不動産業者として正当な取引行為により宗教法人法所定の手続を経て寺の所有地を取得することを意味するにすぎない。ただ、どの寺の土地が売りに出るのかという情報は公にされないから、こうした特殊情報が入るということを「ウマミを覚えた」と表現したのである。
⑩「一つは、早川一光に、財団法人が認可された際、共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけていることだ。これがヒントである。」(一六八頁中段一三行目ないし一六行目)
堀川病院の増改築問題で控訴人と早川一光とが決定的に対立したのは昭和五九年六月であり、京都仏教会が設立されたのが昭和六〇年四月、財団法人の動きはその前後であるから、「財団法人が認可された際」などという話を持ちかけられるわけがない。
右記事部分は、控訴人が仏教会に散々金を使う目的は、老人ホームで「ボロもうけ」することにあると言いたいのであろうが、その核心部分についてニュースソースすら特定できないというのは、無責任極まりない主張態度である。被控訴人らの実相院についての主張は、その社会福祉法人が「ボロもうけ」できること及び控訴人がそれに関与したことの主張すら欠いているから、全く無意味である。
(被控訴人らの反論)
この記事部分も控訴人の社会的評価を低下させるものではない。控訴人は、時期的なズレを指摘するが、財団法人化の構想は古都税反対運動の過程で仏教会に対する批判的世論が生まれる中で既に持ち上がっていたのである。控訴人が早川に社会事業をやろうと持ちかけた話は取材過程で聞いているのであるが、迷惑がかかるおそれがあるから、誰から聞いたのか特定できない。現に、実相院という寺で社会福祉法人設立の動きがあったことを指摘する。
控訴人が早川に財団法人が認可された際、共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけていること、公益法人は法的規制が緩やかであり、報告義務があるだけで監査は受けないから「ボロもうけ」をしている事実もあることから、控訴人の狙いが老人ホームの建設にあると推測したのであるが、右記事部分は、「控訴人が仏教会に散々金を使う目的は、老人ホームで『ボロもうけ』することにある」などと推測してはいない。
2 極めて無責任かつ悪意の推測記事
本件記事の特色の一つは、控訴人に対する悪意に基づく情報操作である。いかにももっともらしく、控訴人に反感を抱かせるような虚偽の事実の推測が随所でなされている。
⑪「清水寺の場合、拝観料が年間三億円、その他収入で一億五千万、合わせて四億五千万円。(中略)人件費に約一億七千万円。残る二億八千万円は全て無税で、しかもどのように使われているかは全く不明だ。」(一五八頁上段一行目ないし九行目)
清水寺では人件費以外には経費がかからないかのような記述であるが、寺域全体及び堂宇の修補維持の費用はどうなるのであろうか。しかも、被控訴人米本は、寺の財政の下調べをしたと述べているのである。
この記事部分は、後記3の否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事でもある。どのように使われているか全く不明だと記述すれば、読者は二億八〇〇〇万円の使途に不信感を持つ。
被控訴人らは、「どのように使われているかは全く不明だ。」というのは真実であると主張するが、清水寺の経理帳簿を調べたが全く不明だという趣旨なのか、経理帳簿を調べられないから全く不明だというのか判然としない。後者ならば記事にすべきことではない。
(被控訴人らの反論)
この記事部分は控訴人には関わりがないが、控訴人の主張は的外れな中傷である。被控訴人米本は、常寂光寺の長尾から寺の台所事情を取材し、京都府からも寺に対する援助の程度を聞き、寺を維持してゆくことは相当難しいことであることを理解する一方、税理士からも取材し、自らも宗教法人法の研究をしている。「どのように使われているかは全く不明だ。」というのは真実である。
「どのように使われているかは全く不明だ。」というのは、清水寺の顧問税理士にも使途が分からない、という意味である。
⑫「西山の金の動きは謎につつまれている。(中略)この土地を共同担保として第一勧銀から金を借りている。(中略)何に使ったのだろうか。」(一六〇頁下段一二行目ないし二三行目)
この記事部分は、本件記事全体の文脈の中では、控訴人が寺に資金を出して見返りの利権を狙っているというこを描写するために、控訴人の資金源について言及しているのである。暗喩的であるとはいえ、第一勧銀から引き出した巨額の金を古都税反対運動に(見返りを狙って)投資したと示唆している。
この記事部分は、後記3の否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事でもある。
控訴人が第一勧銀から借入れをして何に使おうが余計な御世話であるが、「謎につつまれている」などと言われる筋合はない。共同担保目録を見れば、簡単にその使途として新たな土地取得の事実が判明するし、大手都市銀行が土地購入に必要な資金以外のものを融資するわけがないことは常識である。
(被控訴人らの反論)
この箇所はすべて真実である。控訴人は、「巨額の金を古都税反対運動に(見返りを狙って)投資したと示唆している。」と評価しているが、被控訴人米本は、(1)控訴人が金銭面でも援助しようとしていた事実、(2)三〇億円積んだらびっくりするだろうと言っていた事実、(3)三年間で三協西山の借入金が二〇倍に膨れ上がっている事実を把握してもなお、単純に見返りを狙っているとは考えなかった。三〇億円もの巨額の資金提供を仏教会側が帳簿上どのように処理できるか疑問であったほか、見返りの確固たる保証が見当らなかったからである。それゆえ、被控訴人米本は、素朴に疑問を感じたとおり、「謎につつまれている」、「何につかったのだろうか。」と書いて読者の判断に委ねたのである。
⑬「五十年から始めた書画、骨とう事業も、この手口で集めた品々が元になっているのだろう。」(一六五頁上段七行目ないし一〇行目)
この記事部分は、控訴人が書画、骨董を買ったことがないと断定するものであるが、控訴人に対する反感が露骨に現れている。
被控訴人らは、控訴人が伊丹市の岡田節人の物件を「蔵買い」したと主張するが、事実を歪曲している。控訴人が「蔵買い」をしたのであれば、それをそのまま伊丹市の柿衛文庫に寄託したりはしない。
(被控訴人らの反論)
控訴人は、遺産相続で紛争中の岡田節人の物件を「蔵買い」(蔵に集めた書画、骨董品、古文書などを、予め値踏みせずに蔵の中身全部を買うこと)したことがある。そして、被控訴人米本は、控訴人から骨董品の鑑定を依頼された人からも取材し、控訴人が昭和五〇年前後に「蔵買い」をしていた事実を知ったのである。右記事部分は推測であるが、右のような事実に基づいている。
控訴人は、その本人尋問においても「蔵買い」の事実を否定していない。控訴人が「蔵買い」をしたから、それをそのまま柿衛文庫に寄託する(所有権は控訴人にある)ことができたのである。
⑭「清水寺など観光寺が個人名義、登記もれの土地をどれだけ持っているかは、誰にも分からない。清水寺の七人の僧とて、松本、大西を除けば知らないだろう。その土地が秘かに他人の手に渡ってもすべては闇の中である。」(一六九頁中段三行目ないし九行目)
控訴人の利権漁り、あるいは「魑魅魍魎」という本件記事全体の構造の中では、密かに控訴人の手に渡ることを暗喩して中傷しているのである。どのようにすれば、個人名義、登記漏れの土地が密かに他人の手に渡るのかよく理解できない。
この記事部分は、後記3の否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事でもある。すなわち、古都税反対運動の核となった清水寺などの観光寺院に否定的評価を与え中傷しているが、本件記事全体の文脈の中では、結局、控訴人に対する否定的評価を下しているのである。
被控訴人らによれば、清水寺の大西家の個人名義の登記簿謄本を見た弁護士がいるということであるが、そういうことがありうることは否定しない。僧侶から母親から相続して僧侶が個人名義の土地を取得することがありうるからである。問題は、清水寺の所有地であるのに、僧侶の個人名義になっている土地があるか、登記漏れの土地があるか、ということである。
(被控訴人らの反論)
控訴人の社会的評価に関わる箇所ではないが、真実である。被控訴人米本は、清水寺の大西家の個人名義の登記簿謄本を見た弁護士、京都の司法書士から取材して、個人名義、登記漏れの土地が存在することを知った。清水寺の僧侶である福岡からは、個人名義を含めて清水寺の土地がどれだけあるのか分からないとの話を聞き、「誰にも分からない。」と判断したのである。誰にも分からない土地であれば、「その土地が秘かに他人の手に渡ってもすべては闇の中」である。
⑮「西山が狙っているのは、その広大な土地だよ。(以下略)」(一六九頁上段五行目ないし九行目)
控訴人が不動産業者として正当な取引行為により宗教法人所定の手続を経て寺の所有地を取得することはもちろん問題がない。しかし、そんなことを言いたいのなら記事にはしないであろう。
(被控訴人らの反論)
不動産業者である控訴人が広大な土地を狙っていることが、控訴人の社会的評価を下げるとは思えない。不動産業者が、特殊情報を入手して登記漏れの土地等を狙っても、正当な取引行為であれば何ら問題は生じないからである。
ともあれ、この記事部分については、控訴人をよく知っている金融業者から取材したほか、鵜飼泉道(仏教会事務局長)の話、控訴人の仕事が不動産業であること、寺所有の土地が公開されていないことなどを考慮し、金融業者の話が合理的な推測であると判断したのである。
3 否定的評価を下して反感を抱かせる誤導記事
本件記事は、控訴人に対する悪意に貫かれており、その結果控訴人に関しては根拠のない否定的評価を繰り返している。
⑯「相国寺の会場は異様な感じであった。会場に入るといきなり記帳を求められた。これまで一度もなかったことだ。」(一五六頁上段一三行目ないし一六行目)
このような否定的評価は、前記①の事実無根の記事部分につながっていく。しかし、拝観停止の解除の発表という重大な会議に信徒代表も参加しているのであるから、出席者に記帳を求めても何の不思議もないことである。
(被控訴人らの反論)
対象寺院にとっては拝観停止の解除よりも自ら収入の道を閉ざす拝観停止を決定する会議の方がより重大であるのに、その会議では記帳を求めず、八八和解当日の対象寺院会議に限って記帳を求めたのである。前記のとおり、署名しなければならない合理的な理由は見当たらないし、席順まで決められている。出席者が「普通でない」と感じるのは当然であり、まさに「異様な感じであった」のである。
⑰「野望を遂げたとき、屈辱的差別を受けた西山の怨念は晴らせるのか。」(一六九頁下段一一行目ないし一二行目)
これは、本件記事部分⑥、⑦と合わせ、(元)在日韓国・朝鮮人に対する否定的評価にほかならない。
第三 証拠関係<省略>
理由
一請求原因1(当事者)、同2(一)(本件記事が掲載された現代一〇月号の販売頒布)の各事実、並びに本件記事中に請求原因2(二)の(1)ないし(17)列挙の記事部分及び前記第二の二の当審における補充的主張において控訴人が「本件記事の悪質性について」として主張する①ないし⑰の記事部分のあることは当事者間に争いがない(但し、本件記事部分(1)ないし(17)と本件記事部分①ないし⑰とは大部分が重なりあっている。)。
右争いのない事実に<書証番号略>によれば、本件記事は、「清水、金閣を手玉にとった男 怪商・西山正彦が京を牛耳る」との見出しで、昭和六〇年八月当時、京都市で問題となっていた古都税反対運動に関して、控訴人の人物像を中心としたノンフィクション記事を扱う中で、「会場入り口で記帳した署名簿がそのまま念書に変わる。謀略以外の何ものでもなかった。」、西山商法は「不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするパターンだ。」、「堀川病院で乗っ取り事件が起こっていた。……当時の関係者は西山の策謀を『乗っ取り以外に考えられない』と口をそろえる。」、「財団法人が認可されれば、一千八百カ寺の会員を持つこの財団法人の人事は西山派で固められ、自由に操作できる。」など、控訴人を京都における古都税問題の陰の演出者と位置づけて古都税問題を利用して自己の利権を拡大しようとする黒幕的な存在であるとの否定的評価を与える内容の記載があり、これらは控訴人の社会的評価を低下させかねない性質のものというべきである(控訴人の名誉を毀損するものとして控訴人の指摘する記事部分は前記のとおり(1)ないし(17)及び①ないし⑰と多岐にわたり、その中には控訴人の名誉を毀損するとはいえない記事部分もあるので、後記五の各記事部分の検討において、名誉毀損の有無も合わせて検討することとする。)。
二そこで、被控訴人らの抗弁について判断するに、言論、出版等の表現行為により名誉が侵害される場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法一三条)と表現の自由の保障(同法二一条)とが衝突し、その調整を要することになるが、民主制国家にあっては表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由は特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならないことに鑑みると、論評、意見表明を含む出版等の表現行為により、その対象とされた人の社会的評価を低下させることがあっても、当該表現行為が公共の利害に関する事実にかかり、その目的が専ら公益を図るものである場合には、人身攻撃に及ぶなど論評、意見表明としての域を逸脱したものでない限り、その前提として摘示された事実が少なくとも主要な点において真実であることの証明があったときは当該表現行為には違法性がなく、真実であることの証明がなくても行為者においてそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは故意又は過失がなく、いずれも結局不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁、同昭和六〇年(オ)第一二七四号平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二五二頁参照)。
被控訴人らは、本件記事のうち、控訴人に対する論評の部分は公正な論評(フェア・コメント)の法理により違法性を欠き、被控訴人らは名誉毀損の責任を負わない旨主張するが、人の名誉の毀損が論評による場合であっても(もっとも、「論評」と「事実の摘示」とは紙一重であって、区別し難いことも少なくない。)、論評者において不法行為責任を免れるためには、その前提として摘示された事実については、少なくとも主要な点において真実であることの証明があるか、真実であることの証明がなくても論評者において真実と信ずるについて相当の理由があることを要するのは右説示のとおりであって、被控訴人らの主張する右法理が右要件を緩和しあるいは不要とすべきものであるとの趣旨であるならば、採用しえないところである。
以下、右のような観点から本件記事を検討することとする。
三1 被控訴人米本が本件記事を執筆し、被控訴人田代が本件記事を現代一〇月号の記事として掲載するに至った経緯についての当裁判所の事実認定は、次の(一)ないし(六)のとおり付加訂正するほか、原判決一八枚目表六行目の「前記甲第一号証」から三〇枚目裏五行目末尾まで説示のとおりであるから、これを引用する。
(一) 原判決一八枚目表七行目ないし八行目の「証人長尾憲彰、証人鵜飼泉道(後記信用しない部分は除く。)」を「弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第七四、第七五号証の各一・二、証人鵜飼泉道、同清瀧智弘の各証言(いずれも後記採用しない部分を除く。)、証人長尾憲彰」に、一〇行目ないし末行の「次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。」を「次の(1)ないし(17)の事実が認められる。」に、同裏四行目の「以下『仏教会』という。」を「以下、京都市仏教会、京都仏教会を通じて単に『仏教会』ということがある。」に各改め、九行目の「被告米本に」の次に「同年八月初め」を加える。
(二) 原判決一九枚目表末行の「その日の前後に、テレビや新聞で」を「京都市へでかける前日の同月八日夜、テレビで」に、同裏一行目ないし二行目の「同月八日に」を「同日」に、二行目の「以下『八八和解』という。」を「八八和解」に、三行目の「流れた。」を「流れ、翌九日には新聞で同様の報道がなされた。」に各改める。
(三) 原判決二一枚目表三行目の「相国寺に入ると」の次に「着席する前にまず」を、五行目末尾の「あった」の次に「ので、長尾は疑問に思い、非常に憤慨した」を各加え、同裏七行目ないし八行目の「何故自分の寺の拝観料を財団法人に委託しなければならないのか」を「『訳の分からない指導者(控訴人)を引っ張りこんで、そういう者が噛んでいる財団に何故自分の寺の拝観料を委託しなければならないのか。』」に、一〇行目ないし一一行目の「私が信用できない男か見てくれ」を「『長尾先生、あなたの知性ある目で私の目を見て下さい。私が信用できない男か見て下さい。東伏見の宮さんや松本さんの目と同じような目をしてるでしょう。』」に、末行ないし二二枚目表一行目の「結局同日午後四時から、今川京都市長との面談があり、」を「同日午後四時から京都ホテルで今川京都市長と面談する予定になっており、」に各改める。
(四) 原判決二二枚目表三行目の次に改行して「そして、東伏見会長、松本理事長らが中座し、その後相国寺に戻って来て『只今届けてまいりました。』と言ったが、その日の古都税対象寺院会議に限って会場入口で署名させたことからすれば、右両名がその署名簿を持ってゆき、京都市側との約定書につけるか、あるいはその日の対象寺院会議に出席して和解に同意した寺院を明らかにするために京都市側に示したのではないかと思う。」を加え、末行の次に改行して次のとおり加える。
「右の四人組は、独自候補(いわゆる草の根候補)の人選に努力していた長尾に対し、『私たちは高度の撹乱戦法を使っているんだ。今川京都市長に対する攻撃の手段として独自候補を出すという動きを見せたにすぎない。』という趣旨のことを述べた。
ク また、控訴人は、後記堀川病院の若手医師をオルグして堀川病院の人事にまで介入してきたことがあるが、そのことについては乗っ取りだということで乗り出した堀川病院側の山下潔弁護士が詳しいので、同弁護士に尋ねればよい。」
(五) 原判決二四枚目表一〇行目の「(なお、」から同裏四行目の「たい。)」までを削り、一〇行目の「入らなくなった。」の次に「なぜ自分を外そうとするのか、これには何か大きな陰謀があるのではないかと考えた。」を加え、二五枚目表末行の「鵜飼は、」を削り、同裏二行目ないし三行目全部を「うにすればよい(話の流れから、控訴人と仏教会の関係を示唆するものであることは明らかであった。)。」に改め、五行目の「代議制民主主義の形」の次に「(京都市内に八支部があり、その各支部長が仏教会の常務理事になる。)」を、八行目の「多く入っている」の次に「(東伏見、松本、清瀧、安井、大西、佐分)」を各加え、二六枚目表五行目及び九行目の各「被担保債権額」をいずれも「極度額」に改め、二八枚目表七行目の「受けた」の次に「控訴人をよく知っている」を加え、二九枚目表二行目の「その中の倉の中から」を「その蔵の中に」に、七行目の「その母親」を「他の一人の母親」に各改める。
(六) 原判決三〇枚目裏五行目全部を次のとおり改める。
「 以上のとおり認められ、証人鵜飼泉道、同清瀧智弘の各証言中右認定に反する部分は被控訴人米本の供述に照らして採用することができず、他に右認定に覆すに足りる証拠はない。なお、証人鵜飼泉道は、前記(9)の認定に関し、この日は控訴人の話題は意図的に避けたと証言するが、その直後に四年も前のことなのではっきり記憶していないなどとあいまいな証言をしており、当時被控訴人米本の関心はもっぱら控訴人の人物像にあったことからすれば、右証言部分は信用し難い。また、証人清瀧智弘は、前記(6)の認定に関し、昭和六〇年八月一一日に被控訴人米本と会ったことはないと証言し、<書証番号略>にも同旨の記載があるが、前掲<書証番号略>(被控訴人米本作成の取材メモ)、<書証番号略>(清瀧の名刺)、被控訴人米本の供述に照らし、いずれも採用することができない(控訴人は、<書証番号略>では、清瀧は「ノーコメント」と答えたと記載されているのに、本件記事においては、「八月八日の会議に西山が出席したことについて問うと、頬の筋肉をピクつかせながら、『そんな男は知らない。出席した事実もない』と語った僧侶である。」などと中傷しているのであり、本件記事の特色である恣意的な脚色、虚構報道を十分に立証していると主張するが、<書証番号略>は、その体裁、記載内容から、取材対象(清瀧)の言動を逐一正確に書き留めたものではなく、あくまで心覚えのためのメモにすぎないことが明らかであるから、右主張は当を得ない。)。」
2 次に、控訴人の関わりを中心に古都税紛争の経緯をみるに、<書証番号略>(仏教会作成の「古都税反対運動の軌道と展望」)、及び前掲証人鵜飼、同清瀧、同長尾、同安井の各証言、控訴人本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)、弁論の全趣旨によれば、次の(一)ないし(一〇)の事実が認められる。
(一) 昭和五七年七月、京都市の理財局長は、京都市の赤字補填対策として文化観光税の復活を示唆し、次いで「拝観者数年間二万人以上の三〇ないし四〇社寺を対象に、一人当たり五〇円を拝観料に上乗せして徴収する。」との構想を示し、今川京都市長は、同月二七日、記者会見で文化観光税復活に強い意欲を示した。
これに対し、京都市仏教会は、同年八月二日、役員及び有力寺院の住職、執事長ら約三〇名が出席して緊急会議を開き、文化観光税に反対する方針を決めた。
同年九月七日、京都市は説明会を開いたが、京都市仏教会は、昭和三九年に当時の高山京都市長との間で文化観光税について交わした「今後この種の税はいかなる名目においても新設しない」との覚書による約束の違反であり、信教の自由を侵すものであるなどとして強く反発した。
以後、京都市側と京都市仏教会との聞で公式、非公式の交渉が続けられたが、交渉は容易に進展しなかった。
(二) 昭和五八年一月七日、今川京都市長は、記者会見で、新税の名称を「古都保存協力税」に変更し、「一人一回五〇円で、四〇社寺を対象に一〇年間で一〇〇億円を徴収する見込み」との条例案の骨子と文化財保護という税収の使途を発表した。
同月一八日、京都市議会は、今川京都市長の提出した古都保存協力税条例案を委員会審議なしで賛成多数(共産党のみ反対)により原案どおり可決、成立させた。
同月二一日、自治省は、京都市に対し、古都税の許可申請に当たっては対象社寺が徴税に同意したことを示す文書を添付するよう求めるとの見解を表明したので、京都市は、対象社寺の個別説得を進めていたが、成果が得られず、昭和五八年度の当初予算に古都税を計上することを断念し、同年四月の実施は事実上見送られることになった。
同年二月一四日、京都市仏教会の七一か寺は京都地方裁判所に右条例の無効確認訴訟を提起したが、同裁判所は、昭和五九年三月三〇日、京都市側全面勝訴の判決を言渡した。京都市は、同年二月一三日に同年四月実施見送りを表明していたところ、同年七月二八日、自治大臣に対する古都税条例の許可申請書を京都府に提出し、京都府は、同年八月二五日これに意見書を付して自治大臣に進達した。
(三) 昭和六〇年一月四日、今川京都市長は、古都税を同年四月に実施する旨の決意を表明し、これに対し、京都市仏教会は、同年一月一〇日、自治省が条例を許可した場合対象の二四か寺が一斉拝観停止に入るとの方針を発表した。
同月二五日、自治大臣、自由民主党政調会長は、訪れた松本理事長ら京都市仏教会幹部に対し、それぞれ、当分の間許可しない旨述べた。
同年二月八日、植木光教自由民主党府連会長が事態打開のため斡旋者会議の設置を提案し、奥田東元京都大学総長、大宮京都商工会議所副会頭、栗林四郎京都市観光協会会長の三名の斡旋者からなる「古都保存協力税問題斡旋者会議」が設置された。京都市仏教会は、翌九日、過去一貫して古都税賛成の態度を示してきた植木自由民主党府連会長が設置した斡旋者会議は信頼できないとして拒否を表明した。
(四) ところで、控訴人は、昭和五八年八月頃、京都市内の寺院の移転問題に絡んで住職が寺の売却金を私物化し、信者が京都市仏教会に解決策を相談に来るという事件が起こった際、この種の問題に詳しい僧侶の紹介で、京都市仏教会の鵜飼事務局長と安井から助言を求められたことから同人らと知合いとなった。そして、控訴人は、古都税問題にも深い関心を示していたことから、古都税問題についても右両名から度々相談を受けるようになり、松本理事長にも引き合わされ、同人から協力を要請されてこれを承諾した。
ただ、控訴人が古都税問題に深く関わるようになったのは昭和六〇年に入ってからのことであり、前記斡旋者会議について、昭和六〇年二月一九日の京都市仏教会の会議においてこれを拒否しつづけることはできないという方向に議論が傾いたが、控訴人が、斡旋者会議を受け入れることは京都市仏教会の全面敗北につながると主張してこれに反対したため、京都市仏教会は、斡旋者会議を拒否する方針を固め、京都市との直接交渉を申し入れた。
同月二二日、京都市は、古都税収入九億四〇〇〇万円を計上した昭和六〇年度予算案を発表し、続いて、同年三月六日、今川京都市長は、市議会において、自治省の許可が近々下りる見通しなので早急に京都市仏教会のトップと会談して新年度当初から古都税を実施したい旨答弁した。そのため、同月八日、京都市仏教会は、斡旋者会議の提案により同月一日から再開されていた直接会談の席上、一方的にこれを打ち切る旨宣言した。
(五) 当時、控訴人の存在は、東伏見会長、一部の理事など数名の幹部が知るのみで、控訴人との接触は、鵜飼、安井、佐分、大西が当たっており、控訴人と右四名に清水寺門前会の田中博武を加えて頻繁に会合を開き、更に大西の推挙により清瀧をメンバーに加え、この七名によって運動の基本的な理念や具体案を練った。これは、反対運動を貫くためには信頼のおける僧侶の実働部隊が必要であり、京都市を正規軍とすれば京都市仏教会がこれに対抗するにはゲリラ作戦以外にはないとの控訴人の考え方に基づくものであった。
控訴人と右六名は、寺院が行政の下請けとなって税の取立てを行うことは自らの宗教行為を否定することになり将来に大きな禍根を残すとし、古都税に対する具体的な抵抗の手段としては京都市仏教会が打ち出した拝観停止以外にはないが、無闇な拝観停止は避けるべきで、短期間で最大の効果を上げる必要があり、同年の京都市長選挙(八月一〇日告示、同月二五日投票)を控えた具体的戦略としては、拝観停止の混乱の中で市長選挙を迎えたなら、古都税問題は選挙の争点となり、強硬実施を唱える今川京都市長は苦しい選挙戦を強いられ、古都税反対を唱える共産党の市長を誕生させる可能性もあるが、条例を成立させた議会との関係で古都税問題の解決は長引くであろうから、古都税問題は結局今川京都市長が解決するほかはないものの、古都税問題の解決が早すぎると、弱い今川京都市長よりも強い候補者の擁立が可能となり、その場合は和解交渉の相手方を失い選挙後の見通しが立たなくなってしまうので、古都税問題を市長選挙ぎりぎりまで引きずって強い候補者の擁立の芽を摘む必要があると考えた。
そこで、控訴人は、拝観停止によって今川京都市長を追い込み、市長選挙前に一気に解決を図る方針を打ち出し、「古都税対象寺院は一〇年間拝観停止を続け、これに代わり、仏教会が古都税対象寺院に依頼して拝観業務を行う。その収入の一部は寄付金として京都市に収め、一部は仏教会の運営費に充て、残りは各対象寺院に寄付金として還元する。」との解決策を提案した。この提案は、京都市とは京都市に金員を収めることで妥協するほかないが、ただ寺院が税の徴収義務者になって税を取り立てることだけは絶対に避けなければならないとの控訴人の持論に基づくもので、古都税対象寺院は税の徴収を行う必要がなく、仏教会も徴収義務者に指定されていないため、京都市に収める金員は名実ともに寄付金となり、京都市も条例を撤廃する必要はなく、寄付金としての収入は得られるというものであり、この提案の実行のためには仏教会を財団法人化し責任ある組織にする必要があるとされた。
(六) 同年三月一七日、京都市仏教会は、自治省の許可があれば拝観停止に入るとしていたこれまでの方針に代え、市長選挙告示日から拝観停止に入るとの方針を発表し、市長選挙に照準を合わせて拝観停止の準備を始めた。
同月二七日、京都市仏教会と京都府仏教会は、合同役員会を開き、両仏教会を統合して同年四月一日京都仏教会として発足することを決め、東伏見会長、松本理事長のもと、常務理事として有馬、清瀧、大島亮準(三千院執事長)、理事として大西、長尾、荒木元悦慈照寺(銀閣寺)執事長、片山宥雄大覚寺宗務総長、多紀顛信妙法院執事長、田原周仁天竜寺派宗務総長、京都市内の支部長会代表一人、府内の単位仏教会代表一人の合計八名、事務局長として鵜飼という古都税に対応するための新役員人事(いわゆる古都税シフト)を決定した。
一方、控訴人は、控訴人の人脈(塚本等)を利用して今川京都市長との水面下での交渉を計画し、大西とともにその交渉に当たり、組織固めと対象寺院への説得は清瀧、安井、佐分、大西が当たることにした。
鵜飼は、右のとおり合同して発足した京都市仏教会においてもひきつづき事務局長の地位にあったが、もともと、古都税問題をいわば一つの道具、手段として、寺院の持っている矛盾、問題点を是正する方向に古都正問題を引っ張っていきたいという考えを持っていたのに対し、控訴人や清瀧ら四名の考えはとりあえず古都税さえなくなればよいとの考えであると感じており、控訴人や清瀧らの計画には加わらず、同年四月以降、控訴人からの連絡は徐々になくなって、控訴人らの動きが分からなくなり(鵜飼は、後記八八和解の直前にはまさに「五里霧中」の状態であったと証言する。)、古都税反対運動が間違った方向に動き出していると考えて悩んでいた。
同年三月二七日、京都市議会は、古都税収入を盛り込んだ昭和六〇年度予算案を可決成立させたが、未だ自治大臣の許可が下りず、条例の四月実施は見送らざるをえなかった。
同年四月三日、斡旋者会議は斡旋打切りを表明し、同月一〇日、自治大臣は許可後二か月間の停止期間を設けるとの条件付きで古都税新設を許可し、これを受けて京都市は停止期間の切れる同年六月一〇日に古都税を実施する方針を明らかにした。
(七) 控訴人は、同年三月下旬、初めて大西とともに密かに今川京都市長と会談し、寺院は金銭のために古都税に反対しているのではなく、寺院が税を徴収することに反対なのであり、そのためには脱落寺院は出ても有力十数か寺は市長選挙の告示日に確実に拝観停止に入る覚悟であることなどを説明し、以後、電話での話合いを含め十数回にわたって同市長と水面下で交渉し、その都度、会長、理事長等に報告した。清瀧ら四名は、各対象寺院を回り、長期間の拝観停止はお互いに望むものではないが、拝観停止以外に古都税を食い止めることはできないとして、寺院の決断を迫った。仏教会理事会は、同年五月、市長選挙に独自候補を擁立することもある旨決議し、その旨発表した。
一方、今川京都市長は、同年六月一日、古都税を実施すれば市長選挙の告示日(八月一〇日)に寺院が拝観停止に入ることが確実であることから、拝観停止になれば観光への影響が大きいとして古都税の実施を一〇月まで延期することを発表した。
これに対し、控訴人は、独自候補擁立の可能性を示した仏教会理事会の決議にもかかわらず、古都税問題は今川京都市長との間で解決するほかはないとの前記の考え方に基づき、仏教会が選挙告示日からの拝観停止の方針を決めていたのに、古都税の実施が四か月近くも遅れることになれば選挙告示日に拝観停止に入る理由を奪われてしまい、紛争を長引かせることになると判断し、今川京都市長に対し、条例施行を遅らせることは徒に紛争を長引かせることになるとして、七月一〇日からの実施を打ち出すよう説得した。
今川京都市長は、いったん変更して打ち出した一〇月施行を更に変更することを渋っていたが、同年六月七日、控訴人の自宅で説得に応じ、記者会見において、七月一〇日実施を発表して、その理由として、「仏教会は私(同市長)の真意を全く理解しようとせず、まことに遺憾千万の極みだ。これ以上円満解決への努力はもはや無駄であり、私の任期中(八月二九日まで)に実施することが責務であると考えた。」と述べた。そして、同年六月一三日、京都市は古都税規則を公布した。
仏教会は、同年七月一〇日の条例施行日を控え、八月一〇日の選挙告示日の拝観停止突入までの期間は無料拝観で対処することにしたが、強硬に拝観停止を主張する寺院は予定を繰り上げ、七月二〇日広隆寺、蓮華寺、同月二三日青蓮院、曼殊院、同月二五日南禅寺、金地院、東福寺、同月二九日清水寺、金閣寺、銀閣寺、同月三一日三千院、八月一日二尊院というように拝観停止に突入した。
この間、控訴人は、大西とともに今川京都市長との接触を重ね、和解案としての控訴人の試案を同市長に受け入れさせ、同年五月以降、仲介者として同市長が信頼している大宮との話合いを進め、和解案の内容と寄付金の額について合意をみ、今川京都市長の了解を得た。そして、同年八月八日午後四時に京都ホテルにおいて和解の仲介者として斡旋者会議の奥田、大宮、栗林の三名を立て、京都市側は今川京都市長、城守助役、仏教会側は東伏見会長、松本理事長、清瀧常務理事、大西理事が出席して和解の調印をすることが決められた。
(八) 同年八月八日午後、仏教会は対象寺院一九か寺を相国寺に集めて対象寺院会議を開催した。控訴人は、その直前、大西とともに京都ホテルにおいて斡旋者会議の三名及び今川京都市長と会い、調印すべき和解案を受け取ったうえ、相国寺に向かった。
相国寺での対象寺院会議において、控訴人は、有馬常務理事によって初めて全員に紹介され、和解案の内容を説明した。その会議の様子は、前記認定の被控訴人米本が長尾から聞いた話の内容アないしカ(前段)のとおりであった。
東伏見会長、松本理事長、清瀧常務理事、大西理事は会場を出て京都ホテルに向かい、同日午後四時頃、京都ホテルにおいて、今川京都市長と松本理事長は、立会人としての斡旋者会議の三名とともに、次のような内容の昭和六〇年八月付(日付欄は空白)の和解書に署名した(いわゆる第一の密約)。
「① 十九ケ寺を含む財団法人京都仏教会を作る。
② 十九ケ寺は向こう十年間拝観を停止する。財団法人が拝観を停止した寺院に申し入れて拝観料等を取扱い、財団法人の収入とする。
③ 財団法人は市と約定した金額を向こう十年間市に寄附金として支払う。
④ 市は右寄附金を古都税収入として受け取る。
⑤ 財団法人は各寺の許可を受けて拝観料等として受け取った金額を古文化保存費用として使用する。
⑥ 市はこの財団法人を市条例第八条による特別徴収義務者に指定しない。
⑦ 財団法人が成立された上は財団法人が拝観料等を徴収し、各寺は財団法人が発行した拝観券を持参した者にかぎり拝観を認める。但し財団法人が設立されるまでは財団法人設立準備委員会がこの業務を代行する。
⑧ 第三項の約定金とは斡旋者会議の裁定金額とする。市と仏教会は斡旋者会議の決定に従うものとする。
⑨ 市と仏教会との約定金の使途については諮問委員会を設けてこれに諮問する。諮問委員会の構成は次の通りとする。市側三名、学術経験者二名、仏教会五名、計一〇名」
また、その際、斡旋者三名から、右⑧の「第三項の約定金とは斡旋者会議の裁定金額とする。」との約定に基づき、「市と仏教会との覚書き第三項の『約定した金額』とは金二億八千万円であります。但し十九ケ寺の一般拝観者数は年間約九百万人を基準としたもので、年々人数が増加した場合はこれに応じて増額されるべきものであります。」との同年八月付(日付欄は空欄)松本理事長宛の念書が手渡された(いわゆる第二の密約)。
仏教会の代表は、その後相国寺に戻り、対象寺院会議出席者に対し「只今届けてまいりました。」と述べた。
しかし、右和解の内容については八八和解調印の場で今川京都市長の強い要請を受けて市長選挙の終了までは公表しないことになったため、和解当日の記者会見においては、斡旋者会議の奥田座長は、京都市側、仏教会側同席のもと、「両者から斡旋について一任を受けたので、今月末までに斡旋案を提示し、円満解決を図りたい。」と述べた。
(九) 八八和解を受けて翌八月九日仏教会は拝観停止を解いたが、常寂光寺(住職長尾)は、和解内容が不明確で納得できないとして予定どおり京都市長選挙告示日の同月一〇日から拝観停止に入り、同月二二日仏教会を脱会した。同日、南禅寺、金地院も、第三者(控訴人)の介入を不満として脱会した。
八八和解により古都税問題は一挙に解決に向かったため、選挙戦では古都税問題は争点とならず、今川京都市長は同月二五日の選挙で余裕の再選を果たした。
同月二八日には、鵜飼事務局長が、八八和解について全く知らされていなかったことを理由に、事務局職員全員とともに辞任した。
一方、斡旋者会議は八八和解の内容を九月になっても公表せず、一一月一一日になって斡旋案を京都市側及び仏教会側に提示した。その斡旋案の全体の骨子は八八和解の際に署名した和解書と異ならないが、仏教会が設立する財団法人は古都税相当額を特別徴収義務者であるその寺院に代わって協力金として市に納付するものとし、各寺院は財団法人の発行した拝観券及び条例で定める鑑賞券を持参した者に限り拝観を認めるというものであった。
そのため、仏教会は、寺院は一切徴税行為はしないという八八和解の精神に反するとして回答を留保し、同月二六日、八八和解の際の和解書を公表し、斡旋者会議及び今川京都市長がこれを履行しない限り来る一二月五日より拝観を停止するとの方針を発表し、同年一二月一日、まず蓮連寺、広隆寺が、続いて同月五日一〇か寺が第二次拝観停止に入った。そして、仏教会は、昭和六一年一月二四日には八八和解の際の念書(第二の密約)の存在を明らかにした。
同年二月二八日、控訴人は、東伏見、有馬、清瀧ら仏教会幹部とともに記者会見に臨んで初めて公の場に姿を表し、京都市が交渉中は条例を一時停止することを条件に話合いに応じれば、話合い再開と同時に拝観停止を解き無料拝観にするとの同日の対象寺院会議の決定を発表した。京都市側が控訴人との話合いを拒否したため、控訴人は、仏教会を説得して、拝観停止により深刻な経済的影響を受けている観光業界との話合いを始め、業者を救う一時的処置として、古都税に反対する観光業界のメンバーが紹介する参拝者に志納金を入れる封筒を渡し、寺はその紹介状としての封筒を持参した者に限り拝観を認めるという志納金方針による開門を提案した。
同年三月二四日、仏教会は三か月の期限と観光業界の全面協力を条件に志納金方式による開門を受諾し、同月三〇日、九か寺が一斉開門した。
(一〇) その後、同年七月一日、三か月の期限切れによる六か寺の第三次拝観停止突入、同月二六日、京都市側による閉門六か寺に対する総額一億円の課税通知、同年八月、今川京都市長のリコール運動開始、九月一七日仏教会による念書(第二の密約)の公表など、紆余曲折を経て、昭和六二年四月二二日仏教会は五月一日より開門すると発表し、同席した控訴人は自ら仏教会を退くことを明らかにした。
同年六月、京都市理財局長が条例の手直しを示唆し、京都市、市議会は条例の廃止に向けて動きはじめ、遂に昭和六三年三月一七日、古都税は同月三一日をもって廃止とする条例改正案が可決され、ここに古都税紛争は終息をみた。
以上の事実が認められ、控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
四前記三項認定の事実を前提に、前記二項に説示したところに従い、被控訴人らによる本件記事の執筆、掲載による控訴人に対する名誉毀損の不法行為の成否について、以下、順次判断する。
まず、本件記事にかかる事実の公共性をみるに、前記認定事実によれば、本件記事は、古都税という京都市が新設した法定外普通税を巡り、昭和五七年七月の構想発表以来約三年間にわたり京都市と仏教会が対立を続け、有名寺院が多数存在する京都市において拝観停止等の異常事態にまで発展していたにもかかわらず、京都市長選挙直前の八八和解によって一転解決をみるに至ったことから京都を中心に社会的に大きな関心を集めた古都税問題、及び、これに深く関与し八八和解においても中心的な役割を果たした控訴人に関するものであって、本件記事の執筆、掲載が公共の利害に関する事実にかかるものであることは明らかである。
また、目的の公益性については、前記認定事実によれば、被控訴人田代が被控訴人米本に原稿を依頼した当初の企画は、古都税問題に関して寺院の財務状況を明らかにしようとした「古都税に揺れるお寺の台所事情」ということがテーマであったところ、被控訴人米本が京都へ現地取材に行く前日の昭和六〇年八月八日に至って右のとおり一転京都市と仏教会との間で和解が成立したことから、その和解成立に至る不透明な過程、仏教会の内情、控訴人の仏教会への関与態様等を明らかにする目的で、急遽、控訴人の人物像を中心とした古都税問題の真相ということにテーマを変更したうえ、被控訴人米本において本件記事を執筆し、被控訴人田代においてこれを月刊雑誌に掲載したものであるから、被控訴人米本及び被控訴人田代は公益を図る目的をもって本件記事を執筆、掲載したものということができる。
五そこで、次に、本件記事部分(1)ないし(17)及び本件記事部分①ないし⑰について、そこに摘示された事実が少なくとも主要な点において真実であることの証明があるか否か(事実の真実性)、又は被控訴人らにおいてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるか否か(真実と信ずるについての相当性)を検討し、不法行為の成否について判断することとする(前示のとおり、本件記事部分(1)ないし(17)と本件記事部分①ないし⑰とは大部分が重なり合っているので、共通する部分は合わせて検討する。また、必要に応じ、各記事部分による控訴人に対する名誉毀損の有無についても言及する。)。
なお、被控訴人らは、被控訴人米本の取材態度、執筆態度は、本件記事中の控訴人指摘の各記事部分について、仏教会幹部及び控訴人が報道機関と一切の接触を絶っていた状況下で、可能な限りの情報源に複数取材しており、また予備取材に一〇日以上、現地取材に一週間、原稿化に一週間を費やすというように月刊雑誌としては比較的長く取材し、取材した情報のうち確実と思われる情報のみを記事とし、確認の取れなかった情報はあえて記事にしないという方針をとっていたものであり、推測にわたる部分も、十分な取材によって確信が持てる事実を基礎としつつ、当時の状況、情報提供者の信用度、控訴人の八八和解への関与の程度等を勘案して慎重に推測したものであると主張し、被控訴人田代において被控訴人米本の執筆した本件記事の原稿は右主張のような方針をとるなど大変しっかりした取材に基づく原稿であると判断したことは前示のとおりであるが、そのことによって、被控訴人米本及び被控訴人田代が本件記事において摘示した事実をすべて真実と信じたことは推認するに難くないが、直ちに、右事実が真実であるとか、被控訴人米本及び被控訴人田代において真実と信じたことにつき相当の理由があるとまでいえないことは明らかであって、控訴人指摘の各記事部分について個別に検討する必要があることはいうまでもないところである。
一方、控訴人は、本件記事の悪質性について、本件記事は極めて偏頗な報道姿勢すなわち古都税反対運動に対する中傷と控訴人に対する差別的反感によって貫かれ、それがために虚構の事実を報道し控訴人に対する誹謗、中傷のみを好んで選択して報道しているとか、本件記事の特徴は端的に言って「始めに偏見ありき」なのであると主張するが、本件記事全体を見れば、直ちに本件記事全体を捉えて抽象的にそのように判断することはできないのであって、やはり控訴人指摘の各記事部分について個別に検討する必要があるといわなければならない。
1 本件記事部分(1)「清水、金閣を手玉にとった男、怪商・西山正彦が京を牛耳る」(表題)、「三十八歳、不動産業社長。四年間にわたる古都税問題のドロ仕合を演出した男。皇后の弟・東伏見慈洽から今川市長、塚本幸一、高僧グループを自在に操り、仏教会に君臨する“闇の支配者”は何を狙うのか」(前文)について
前記三2認定事実によれば、ⅰ控訴人は、昭和五八年八月頃に京都市内の寺院の移転問題に関して仏教会の鵜飼事務局長及び安井から助言を求められたのをきっかけに古都税問題についても右両名から度々相談を受けるようになり、松本理事長からも協力を要請され、昭和六〇年に入ってからは深く古都税問題に関わるようになった。ⅱ昭和六〇年二月一九日の京都市仏教会の会議において斡旋者会議を拒否しつづけることはできないという方向に議論が傾いたのを、控訴人は斡旋者会議を受け入れることは京都市仏教会の全面敗北につながると主張してこれに反対し、京都市仏教会はこれに従って斡旋者会議を拒否した、ⅲ当時、控訴人の存在は東伏見会長、一部の理事など数名の幹部が知るのみで、控訴人との接触は、鵜飼、安井、佐分、大西が当たっており、反対運動を貫くためには信頼のおける僧侶の実働部隊が必要であり、京都市を正規軍とすれば京都市仏教会がこれに対抗するにはゲリラ作戦以外にはないとの控訴人の考え方に基づき、控訴人と右四名、清水寺門前会の田中及び後に加わった清瀧の七人で反対運動の基本的な理念や具体案を練り、古都税に対する具体的な抵抗の手段としては京都市仏教会が打ち出した拝観停止以外にはないが、無闇な拝観停止は避けるべきで、短期間で最大の効果を上げる必要があり、同年の京都市長選挙を控え、古都税問題は結局今川京都市長が解決するほかはないものの、古都税問題の解決が早すぎると、弱い今川京都市長よりも強い候補者の擁立が可能となり、その場合は和解交渉の相手方を失い選挙後の見通しが立たなくなってしまうので、古都税問題を市長選挙ぎりぎりまで引きずって強い候補者の擁立の芽を摘む必要があると考え、控訴人は、拝観停止によって今川京都市長を追い込み、市長選挙前に一気に解決を図る方針を打ち出し、京都市とは京都市に金員を収めることで妥協するほかないが、ただ寺院が税の徴収義務者となることだけは絶対に避けなければならないとの控訴人の持論に基づき、「古都税対象寺院は一〇年間拝観停止を続け、これに代わり、仏教会が古都税対象寺院に依頼して拝観業務を行う。その収入の一部は寄付金として京都市に収め、一部は仏教会の運営費に充て、残りは各対象寺院に寄付金として還元する。」との解決策を提案した。ⅳ控訴人は、控訴人の人脈(塚本等)を利用して大西とともに今川京都市長との水面下での交渉を始め、同年三月下旬に初めて大西とともに密かに同市長と会談して以来、その都度会長、理事長等に報告しながら、電話での話合いを含め十数回にわたって同市長と水面下で交渉し、同年六月には、今川京都市長が、既に発表した方針どおり同月一〇日から古都税を実施すれば市長選挙の告示日(八月一〇日)に寺院が拝観停止に入ることが確実であることから観光への影響が大きいとして古都税の実施を同年一〇月まで延期することを発表したのに対し、控訴人は、古都税の実施が四か月近くも遅れることになれば選挙告示日に拝観停止に入る理由を奪われてしまい、紛争を長引かせることになると判断し、今川京都市長に対し条例施行を遅らせることは徒に紛争を長引かせることになるとして七月一〇日からの実施を打ち出すよう説得し、いったん変更して打ち出した一〇月施行を更に変更することを渋っていた同市長も、同年六月七日、遂に説得に応じ、「仏教会は私(同市長)の真意を全く理解しようとせず、まことに遺憾千万の極みだ。これ以上円満解決への努力はもはや無駄であり、私の任期中(八月二九日まで)に実施することが責務であると考えた。」として七月一〇日実施を発表した、ⅴそして、京都市が古都税規則を公布し、仏教会が拝観停止に入る中で、控訴人は、大西とともに今川京都市長との接触を重ね、和解案としての控訴人の試案を同市長に受け入れさせ、同年八月八日午後四時に和解の調印をすることに合意した。ⅵ八八和解の当日、控訴人は、大西とともに京都ホテルにおいて斡旋者会議の三名及び今川京都市長と会い、調印すべき和解案を受け取ったうえ、対象寺院一九か寺を相国寺に集めて行われた対象寺院会議に臨み、有馬常務理事によって初めて古都税問題で指導してもらっていた人であるとして全員に紹介され、和解案の内容を説明した、ⅶこうして八八和解が成立した後、一一月一一日になって斡旋者会議の示した斡旋案は、仏教会が設立する財団法人は古都税相当額を特別徴収義務者であるその寺院に代わって協力金として市に納付するものとし、各寺院は財団法人の発行した拝観券及び条例で定める鑑賞券を持参したものに限り拝観を認めるというものであっため、仏教会は寺院は一切徴税行為はしないという八八和解の精神に反するとして回答を留保し、同年一二月第二次拝観停止に入る中で、控訴人は、昭和六一年二月二八日、東伏見、有馬、清瀧ら仏教会幹部とともに記者会見に臨んで初めて公式の場に姿を現し、京都市が交渉中は条例を一時停止することを条件に話合いに応じれば話合い再開と同時に拝観停止を解き無料拝観にするとの同日の対象寺院会議の決定を発表し、更に、京都市側が控訴人との話合いを拒否したため、志納金方式による開門を提案し、同年三月二四日、仏教会は三か月の期限と観光業界の全面協力を条件に志納金方式による開門を受諾したが、その後も紆余曲折があり、控訴人は昭和六二年四月二二日自ら仏教会を退くことを明らかにした、というのである。
しかして、本件記事部分(1)は、必ずしも控訴人の社会的評価を低下させるものとは一概に断定し難いが、仮に控訴人に何らかの否定的評価を与えるものであるとしても、右認定事実によれば、控訴人は、当時は世間にほどんど知られていなかった一不動産会社の社長であり、年齢も三八歳と比較的若いにもかかわらず、昭和五七年七月以来あしかけ四年にわたる古都税問題に松本理事長の要請も受けて関わり、特に昭和六〇年に入ってからは、清瀧広隆寺貫主、安井蓮華寺副住職、大西清水寺執事長、佐分相国寺執事(控訴人のいう「ゲリラ作戦」に必要な「僧侶の実働部隊」)といった高僧グループを率いてその中心となって反対運動の基本的な理念や具体的方針を練り、古都税問題を市長選挙ぎりぎりまで引きずって拝観停止により今川京都市長を追い込み市長選挙前に一気に解決を図るという方針のもとに、自ら財団法人が拝観業務を行ってその収入の一部を寄付金として京都市に収めるという解決策を提案し、今川京都市長と水面下での交渉を重ね、六月一〇日古都税実施の方針をいったん一〇月実施に変更した今川京都市長を説得して更に七月一〇日実施の方針に変更させ、結局控訴人の試案の線にそって八八和解を成立させるなど、控訴人の考えた方針や解決策に基づいて古都税紛争の解決に向け事を進めながら、八八和解当日の対象寺院会議までは東伏見会長、一部理事など数名の幹部以外にはその存在を知られることなく、その後も昭和六一年二月二八日までは公の場に姿を現さなかったのであって、これらの事実を前提にすれば、本件記事部分(1)については主要な点において真実であることの証明があったということができ、「清水、金閣を手玉にとった」、「怪商」、「闇の支配者」などの記述も、論評、意見表明としての域を逸脱しないものということができ、したがって、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
2 本件記事部分(2)及び①「会議開始から一時間後、会場入り口で記帳した署名簿がそのまま念書に変わる。謀略以外の何ものでもなかった。この念書を持って、会長の東伏見と理事長の松本は相国寺を飛び出した。」について
八八和解当日の対象寺院会議において出席者が記帳した署名簿がそのまま念書に変わったとの事実について、これを認めるに足りる証拠はない。
しかしながら、古都税対象寺院会議がそれまで何回も開かれていながら、着席する前にまず出席者全員が署名をさせられ、座席も指定されていたのは右八八和解当日の対象寺院会議が初めてであったというのであり、当日までに既に控訴人と今川京都市長との間で和解案について合意ができていて、当日午後四時に和解の調印の場がセツトされており、控訴人は、南禅寺総長の松浦が憤然として退出し、長尾が細部にわたり異議を唱えたにもかかわらず、同市長が待っているのでどうしてもこの和解案で認めてもらわなければならないと言って押し切ってしまったこと、そして、対象寺院会議に出席していた長尾自身も、その証人尋問において、東伏見会長、松本理事長ら代表が中座し、その後相国寺に戻って来て「只今届けてまいりました。」と言ったが、その日の対象寺院会議に限って会場入口で署名させたことからすれば右両名がその署名簿を持ってゆき、京都市側との約定書につけるか、あるいはその日の対象寺院会議に出席して和解に同意した寺院を明らかにするために京都市側に示したのではないかと推測した旨証言し、昭和六〇年八月一〇日に被控訴人米本の取材を受けた際も右のような推測を述べたこと、鵜飼も、その証人尋問において、署名簿は対象寺院会議にはこれだけ出席していたという一種の権威づけに使われたのではないかと証言していることに照らすと、署名簿がそのまま和解案を認めるとの対象寺院一九か寺の念書(書面)の形になったとまではいえないとしても、被控訴人米本において八八和解の調印の際に対象寺院一九か寺が和解案に同意したことを京都市側に示すために署名簿が使われたものと推測した限度においては、真実と信じたことに相当の理由があるということができ、右記事部分においては、署名簿が念書(書面)の形になったということより、当日までに既に控訴人と今川京都市長との間で和解案について合意ができていて、当日午後四時に和解の調印の場がセットされているという状況のもとにおいて、和解案を説明する前に署名させ、明確な反対意見(松浦及び長尾)が存在するにもかかわらず、対象寺院一九か寺が和解案に賛成しているものとして署名簿が使用されたという点が重要というべきであり、そして右のような経緯をみれば「謀略」という表現もあながち当を得ないものとはいい難いから、本件記事部分(2)及び①については、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである(なお、本件記事を最終的に「現代」一〇月号に掲載したのは被控訴人田代であるが、被控訴人田代は、後記4の場合を除き、本件記事の内容について被控訴人米本とは別に独自の情報を入手していたわけではないから、事実を真実と信ずるについて相当の理由があるか否かの判断は、被控訴人米本について判断すれば足りることになる。)。
控訴人は、対象寺院会議の出席者の顔が分かるのは僧侶が出席する場合であり、八八対象寺院では各寺院の檀信徒代表も出席したので出席者の顔がすべて分かるわけではないから、会場入口で署名させる必要があった旨主張するが、会場において座席も指定していたというのであるから、採用することはできない。
3 本件記事部分(3)及び②の一部((b)及び(d))「この西山を核に、古都税問題は激化し、終息していった。表の舞台に顔を出したのは、八日の秘密会議の場だけである。しかし、少なくともこの二年近くは、すべて西山の自作自演である。西山に敬服し、絶対的な信頼を寄せている一握りの僧を中心に、心から古都税に反対している僧侶達、円満に解決を願う人を巧みに利用し、西山は“燃える古都”を演出したのであった。」((a))、「西山の手足となった僧侶達は口の軽い俗物人間である。秘密は少しずつ漏れ、構造は徐々に解明されていった。」((b))、「西山が古都税騒動の全体の核なら、この四人は京都仏教会の核である。」((c))、「四人の共通点は古都税闘争では『過激派四人組』、私生活では『ゴルフ仲間』『夜の遊び好き』(僧侶、祗園のママの話)にある。四人組は西山の懐刀であった。」((d))について
右記事部分のうち、(b)及び(d)の部分は直接控訴人の社会的評価を低下させるものではない。
また、(a)及び(c)の部分については、前記認定事実及び説示によれば、少なくとも主要な点において真実であることの証明があったということができる。(a)の部分のうち、「西山に敬服し、絶対的な信頼を寄せている一握りの僧」と対比するような形で「心から古都税に反対している僧侶達」と表現しているのは、長尾や鵜飼の古都税問題に対する考え方を念頭においたものと考えられ、論評、意見表明としての域を逸脱しないものということができる。
したがって、本件記事部分(3)及び②の一部((b)及び(d))については控訴人に対する名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
4 本件記事部分(4)及び②の一部「西山を軸に動き回った関係者の多くは固く口を閉ざしている。取材に応じた人もニュースソースの秘匿が絶対の条件だった。複数の人は『どんないやがらせがあるか分からない。誰が秘密をもらしたか、執念深くつきとめるような男だ』と心から怯えていた。」について
被控訴人米本は、その本人尋問において、右記事部分は、本件記事の掲載によってニュースソースが明らかとなったために実際に嫌がらせを受けた人一人から取材したことと、昭和六〇年八月一三日に被控訴人米本が取材した、政界、財界に通じていて控訴人のことをよく知っている人物が、「もし私の名前が出れば放火でもされかねない。彼は放火でもする男だからニュースソースは絶対秘密にしてくれ。」と言ったことに基づくものであると供述するところ、「西山を軸に動き回った関係者の多くは固く口を閉ざしている。取材に応じた人もニュースソースの秘匿が絶対の条件だった。」との部分は、被控訴人米本が直接取材対象者から取材した内容であり、真実であることの証明があったということができる。
また、「複数の人は『どんないやがらせがあるか分からない。誰が秘密をもらしたか、執念深くつきとめるような男だ』と心から怯えていた。」との部分のうち控訴人が『どんないやがらせがあるか分からない。誰が秘密をもらしたか、執念深くつきとめるような男だ』というべき種類の人間であることについては、直接これを裏付けるに足りる証拠はないが、<書証番号略>、被控訴人田代本人尋問の結果によれば、被控訴人米本による取材に応じてもらえなかったため控訴人の肖像写真を入手できなかった被控訴人講談社の「現代」編集部から写真撮影の依頼を受けたフリーカメラマンの北山康弘が、昭和六〇年八月二四日午後一時判頃、控訴人がテニスコートでテニスをしているところを控訴人の承諾を得ないで撮影していたところ、控訴人に見つかり、逃げようとしたが捕まり、顔面を殴打され、「お前何しとるねん。どこのもんや。」と怒鳴られたこと、そして、北山は、控訴人と控訴人に電話で呼び出された三協西山の若い社員二人に取り囲まれるようにして三協西山の事務所に連れて行かれ、同事務所において控訴人と若い社員三人に囲まれて座らされ、一時間半ほどの間、控訴人から「お前の正体が分かるまでここを帰さん。」、「誰に頼まれてやった。」などと怒鳴られ、若い社員から暴行を受けるなどし、結局、控訴人の要求に従って、身分証明書を示し、控訴人を撮影したフィルムを控訴人に渡し、無断で撮影したことを認めそのことで今後控訴人に迷惑はかけない旨の一札を書いて、解放されたこと、北山は、当日、「現代」編集部の担当者に右いきさつを伝え、被控訴人田代も、当日右担当者から報告を受けたこと、右当日は、被控訴人田代が被控訴人米本から本件記事の原稿を受け取った直後の「現代」一〇月号の校正段階にあったこと、なお、被控訴人田代が控訴人に対し同月三〇日付の内容証明郵便で抗議文を出したところ、同年九月三日頃、控訴人から北山に対し脅迫するような内容の電話があったことが認められ(右認定に反する<書証番号略>は措信することができない。)、この事実及び堀川病院事件における三協西山の社員による執拗な嫌がらせ(後記14参照)に照らせば、本件記事を「現代」一〇月号に掲載した被控訴人田代ないし「現代」編集部において真実と信ずるについて相当の理由があるというべきである。
したがって、本件記事部分(4)及び②の一部については、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
5 本件記事部分(5)「市と仏教会の対立が硬直化していた五十九年春ごろ、京都商工会議所会頭、ワコール社長の塚本幸一のもとを西山が訪れた。西山はいきなりこういってのけた。『おっさん、あんたを男にしてやるで。今度の古都税問題、あんたの顔で解決してやる』」について
右記事部分は、被控訴人米本本人尋問の結果によれば塚本からの取材に基づくものであるところ、前記認定事実によれば、塚本は被控訴人米本の取材に対し、控訴人が右記事部分のとおり塚本に言った旨述べたことが認められ、そして、被控訴人米本の取材に対する塚本の応答の内容のうち、ウの「控訴人のほか清瀧、安井、大西、佐分の四人も同席する中で、安井が控訴人に対し拝観停止は避けられず、一年継続するとすれば三〇億円はかかるが覚悟しておいてほしい旨の発言をし、控訴人もこれを了承した。」旨の部分は、その場にいた者しか知りえない事実であるが、安井自身がその証人尋問において、控訴人が清瀧、安井、大西、佐分の四人同席のもとに塚本と話し合った際、京都市側の人物である塚本に揺さぶりをかけるために、安井と控訴人に対し、「もう拝観停止に突入するしかないで。一年間はかかるだろうな。西山さん、三〇億円覚悟しときなよ。」と話したことを認める旨の証言をしていて確たる裏付けがあること、同じくウの「控訴人は、『まだ時期がある。もっと熱うならんといけない、古都税問題を紛糾して市長選の直前までもっと紛糾しなければいけない。』と言った。」との部分は、古都税問題を市長選挙ぎりぎりまで引きずって強い候補者の擁立の芽を摘む必要があり、拝観停止によって今川京都市長を追い込み、市長選挙前に一気に解決を図るとの控訴人の方針(当時、控訴人がこのような方針を持っていたことはもちろん、控訴人が仏教会を指導していることすら、公にされていなかった。)に合致するものであって、信用できること、その他塚本の社会的地位を併せ考えると、被控訴人米本の取材に対する塚本の応答の内容は全体的に信用できるものというべきである。
したがって、本件記事部分(5)については、仮に控訴人の社会的評価を低下させるものであるとしても、真実であることの証明があり、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
6 本件記事部分(6)「一方で拝観停止を四人組を通し指導しながら、もう一方で塚本との話し合いを長引かせる。西山は何を考えていたのか。」、「完全なマッチポンプである。」について
前記認定事実によれば、控訴人は、特に清瀧、安井、大西、佐分の四名を率いてその中心となって反対運動の基本的な理念や具体的方針を練り、古都税に対する具体的な抵抗の手段としては拝観停止以外にはないが、無闇な拝観停止は避けるべきで、短期間で最大の効果を上げる必要があり、古都税問題を市長選挙ぎりぎりまで引きずって今川京都市長以外の強い候補者の擁立の芽を摘む必要があるとして、拝観停止によって今川京都市長を追い込み、市長選挙前に一気に解決を図るという方針のもとに、拝観停止を掲げて古都税問題を紛糾したままの状態で市長選挙まで引きずり、今川京都市長が昭和六〇年六月に六月一〇日実施予定であった古都税の実施を一〇月まで延期すると発表したのを説得して更に七月一〇日実施に変更させ、表面上古都税問題について今川京都市長と仏教会との対立が激化しますます混迷の度を深めたという状況を作り出しながら、一方では市長選挙告示直前の和解に向けて今川京都市長との水面下での交渉を重ね、現に急転直下八八和解を成立させたというのであるから、右記事部分は主要な点において真実であることの証明があったということができる(「完全なマッチポンプである。」という表現も、論評、意見表明としての域を逸脱するものではなく、事実の摘示と捉える余地があるとしても、不当な表現とはいえない。)。
したがって、本件記事部分(6)については名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
7 本件記事部分(7)及び③、④「西山の『あつうならんとあかん』発言があった日、塚本と会ったのは西山と四人組である。この席上、蓮華寺の安井が西山にこう語りかけている。『もう拝観停止に突入するしかないで。一年間はかかるだろうな。西山さん、三十億円覚悟しときなよ。』『まかしとき』西山が金の側面からも援助しようとしていたことは間違いない。拝観停止を行った四人組の関連寺院だけに、期間中、西山から補償金として金が流れたという話も伝わっている。もう一つ、符合するのは西山が妻の芳子に、あるとき『欲の深い坊主らに、机の上にどんと三十億円積んだら、びっくりするやろな』と語り、二人で高笑いしたということだ。」について
右記事部分のうち、「西山の『あつうならんとあかん』発言があった日、塚本と会ったのは西山と四人組である。この席上、蓮連寺の安井が西山にこう語りかけている。『もう拝観停止に突入するしかないで。一年間はかかるだろうな。西山さん、三十億円覚悟しときなよ。』『まかしとき』」との部分は、前示のとおり被控訴人米本の取材に対する塚本の応答及び証人安井の証言により真実であることの証明があったということができる。そして、右事実関係からすれば、「西山が金の側面からも援助しようとしていたことは間違いない。」との部分は、被控訴人米本においてこれを真実と信じたことについて相当の理由があるというべきである。
しかし、「拝観停止を行った四人組の関連寺院だけに、期間中、西山から補償金として金が流れたという話も伝わっている。」との部分については、これに続く後記部分と一体となって、控訴人が古都税問題に金銭欲がらみで関わっているとの印象を与え、控訴人の社会的評価を低下させるものというべきところ、被控訴人らは、被控訴人米本は仏教会関係者から「四人組関連寺院だけに西山から金が流れた」という話を聞き込んでいたと主張し、<書証番号略>には同旨の記載があるが、「四人組関連寺院だけに西山から金が流れた」との事実を裏付けるに足りる証拠はなく、右事実関係から直ちに「四人組関連寺院だけに西山から金が流れた」との事実を推認することはできないから、被控訴人米本がこれを真実と信じたことについて相当の理由があるということはできない。被控訴人らは、「……という話も伝わっている。」と慎重な表現をしていると主張するが、このように噂の形で表現をしても、その噂の内容である「四人組関連寺院だけに西山から金が流れた」との事実について真実の証明あるいは真実と信ずるについての相当の理由がない限り、不法行為責任を免れないといわなければならない。
また、「もう一つ、符合するのは西山が妻の芳子に、あるとき『欲の深い坊主らに、机の上にどんと三十億円積んだら、びっくりするやろな』と語り、二人で高笑いしたということだ。」との部分については、控訴人は、控訴人が古都税反対運動において指導し行動を共にしている僧侶達を、実は内心では「欲の深い坊主」として嘲笑していることを示し、控訴人が古都税問題に金銭欲がらみで関わっているとの印象を与えるものであるところ、本件全証拠によるも右記事部分が真実であることの証明はなく、被控訴人らは、控訴人が妻に語った場面を目撃した人から話を聞いた人から被控訴人米本が取材したものであると主張し、<書証番号略>には同旨の記載及び三〇億円という金額が符合する故に紹介した旨の記載があり、被控訴人米本は、その本人尋問において、誰が話したかを言うとまたその人が被害に遭うから言うことはできないがこの家庭をよく知っている人から聞いたと供述するのであるが、右主張、記載によれば伝聞の伝聞であって、その確実性は疑問というほかなく、三〇億円という金額が前記のように安井が控訴人に語った三〇億円と一致することを考慮に入れても、被控訴人米本において真実と信じたことについて相当の理由があるということはできない。
したがって、本件記事部分(7)及び③、④のうち、右の前半部分については名誉毀損の不法行為は成立しないが、後半部分については右不法行為が成立するというべきである。
8 本件記事部分(8)及び⑫「西山の金の動きは謎につつまれている。(中略)この土地を共同担保として第一勧銀から金を借りている。(中略)何に使ったのだろうか。」について
前記認定事実によれば、被控訴人米本は、昭和六〇年八月一二日、法務局に行き、三協西山の商業登記簿謄本、土地の登記簿謄本、控訴人の自宅の土地及び建物の登記簿謄本を取り、抵当権が設定されているかどうかを調べたところ、三協西山の土地に第一勧業銀行百万遍支店の根抵当権が設定されていて、その極度額が昭和五七年二月には一億円だったのが、同五八年には二億六〇〇〇万円、同五九年一月には四億円、同年五月には八億円、同六〇年一月には一〇億円、同年五月には二〇億円になっていたので、極度額の増加の時期と控訴人が古都税に深く関与する時期とが一致することから、右金銭の使途や増加の理由について重大な疑問を感じるに至ったというのであり、そして、被控訴人米本本人尋問の結果によれば、これらの事実に、安井が控訴人に対してなした「三〇億円覚悟しときなよ」との発言も併せ考えてその金銭の使途に疑問を呈する本件記事部分(8)及び⑫の記述をしたというのであり、現に、控訴人本人尋問の結果によれば、昭和五八年の終わり頃から昭和六一年頃までの間は、控訴人も三協西山も古都税問題に掛かりきりで、商売は全くやっておらず、「控訴人というよりも三協西山が古都税問題をやっていた」という状態であったことが認められるのであるから、本件記事部分(8)及び⑫程度の記述は、仮に何らか控訴人の社会的評価を低下させることがあるとしても、論評、意見表明としての域を逸脱しないものとして、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
9 本件記事部分(9)「西山と塚本とが接近した理由は何か。」、「一方、西山の当初の狙いは、塚本を男にすることによって太いパイプをつくることにあった。」、「おいしい情報は山ほどある。ツーカーの仲になれば、正業としての不動産業も飛躍的に伸びる。」、「塚本は少なくとも、三十八歳の青年に、翻弄されただけであった。」について
右記事部分のうち、「西山と塚本とが接近した理由は何か。」、「一方、西山の当初の狙いは、塚本を男にすることによって太いパイプをつくることにあった。」、「おいしい情報は山ほどある。ツーカーの仲になれば、正業としての不動産業も飛躍的に伸びる。」との部分は、控訴人の目的は、古都税問題を利用して塚本に接近し、「塚本を男にする」(塚本の手で古都税問題を解決させて塚本の地位を高める)ことによって親密(ツーカーの仲)になることであり、そうすれば塚本の持っている不動産に関する有利な情報を得ることができ、控訴人の本業である不動産業(三協西山)が飛躍的に発展に発展するというものであり、要するに、控訴人が古都税に反対する純粋な気持ちから信教の自由を標榜する仏教会を指導しているのではなく、不動産に関する有利な情報を得るために古都税問題を利用しているとの印象を与えるものであって、控訴人の社会的評価を低下させるものというべきところ、右事実が真実であることを認めるに足りる証拠はなく、被控訴人米本は、その本人尋問において、控訴人が本当に「塚本を男にしてやる」というのであれば、昭和六〇年七月六日の時点で「もっとあつうならんとあかん。」というような発言はしないはずであり、そして、一方では塚本とずるずる付き合いながら大宮とも裏交渉をしていたことからすると、塚本に接近する理由が何かあったはずであり、塚本は当然様々な情報を知っているからその情報を得るためであったとしか考えられないと供述するのであるが、未だ単なる憶測の域を出ず、合理的根拠に基づくものとはいえないから(なお、右「もっとあつうならんとあかん。」との発言は、前示のとおり古都税問題を市長選挙ぎりぎりまで引きずって(表面上)今川京都市長と仏教会との対立が激化しますます混迷の度を深めたという状況を作り出す必要があることを意味することが明らかである。)、これを真実と信ずるについて相当の理由があるということはできず、したがって、右記事部分については名誉毀損の不法行為が成立するというべきである。
しかし、「塚本は少なくとも、三十八歳の青年に、翻弄されただけであった。」との部分については、被控訴人米本の取材に対する塚本の応答の内容(これは全体的に信用できることは前示のとおりである。)によって認められる経緯からすれば、不当な表現とはいえず、論評、意見表明と捉えることもできるから、この部分については、仮に何らか控訴人の社会的評価を低下させることがあるとしても、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
10 本件記事部分(10)及び⑥「西山と大宮が結ばれる仲介人は誰か。」、「大山進。本業は不動産屋。日本興業の社長である。本名は鄭性根。四十過ぎの小太りの男。『得体の知れない怪物』(不動産屋)である。所有不明のすりばち池を無断で埋め立て売買して問題となったすりばち事件の黒幕であり、バックに怖い団体を持つ人物として恐れられている。大山と西山は同胞として旧知の間柄である。大山を通して大宮に近づき、信頼させ、そして仏教会のメンバーに紹介した。『何有荘の件は知らなかったが、それだと合点がいく』と地元記者もうなずく。」について
右記事部分は、控訴人が、所有者不明のすりばち池を無断で埋め立て売買をして問題となった「すりばち事件」の黒幕で、バックに怖い団体を持つ人物として恐れられている大山進という人物と同胞として旧知の間柄であるというものであり、ひいて控訴人もこれと同種の人間であるとの印象を与えかねず、控訴人の社会的評価を低下させるものというべきところ、控訴人が大山と旧知の間柄であるとの点について、被控訴人らは、本件記事仲の一六八頁中段に出てくる「謎かけをしてくれた情報通」(この人の所に控訴人は出入りしていたことがある。)、及び京都市役所の元助役(城守ではない。)からの取材に基づくものであり、元助役は、被控訴人米本に「二人で慶州という焼肉屋から出てくるのを見た。」と述べたと主張し、被控訴人米本本人尋問の結果及び前掲<書証番号略>中には同旨の部分があり、被控訴人米本が鳥飼元京都市助役に電話をしたところ、昭和六〇年八月一九日に「けいしゅう」という焼肉屋の前で控訴人と大山が一緒にいるところを見たことを聞いたことは前示のとおりであるが、右情報通の話は、両名がどのような経緯で旧知の間柄となったのか、具体的にどのような事実をもって旧知の間柄であるというのか主張立証がなく、裏付けを欠き、鳥飼元助役が目撃したという話もその具体的状況等が不明で、直ちに控訴人が大山と旧知の間柄であることと結び付くものではないから、結局、控訴人が大山と旧知の間柄であるとの点については、真実であることの証明があるとも、被控訴人米本において真実と信ずるについて相当の理由があるともいえず、したがって、本件記事部分(10)及び⑥については控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するというべきである。
11 本件記事部分(11)「(三協は)四十九年事実上倒産し、二人は去るが、その後西山は独力で三協西山を設立した。」について
右記事部分は、控訴人が知人二人と共同で設立した三協が事実上倒産したということで、控訴人の社会的経済的信用を低下させかねないものであるところ、被控訴人米本本人尋問の結果によれば、三協の元代表役員、元代表役員の母親、元監査役からの取材に基づくものと認められ、これは、立場によって見方が異なるような事実ではなく、事実上倒産したかどうかという単純な事実にかかるものであって、三協から直接かかわった役員又はその母親の三名の一致した話に基づくものであるから、少なくとも被控訴人米本において真実と信ずるについて相当の理由があり、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
12 本件記事部分(12)及び⑧「金を稼いでゆく手口には今回の西山の動きの原始的パターンが見られる。西山商法の被害者の一人は、不動産の仲介をしてもらったことから西山と知り合い、信用し、金を貸した。しかし、返済されず、この人は世間体からも公けにすることができず、弁護士を間に立て、一年かけて元金だけを取り返すことができた。三協をつくった三人のうち一人は、自分の土地を取られている。自分も代表役員の一人であったため、問題にすることができなかった。こうした話は随所で聞いた。詳細は省くが、共通しているのは、不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするパターンだ。『この方式で城を拡大していった。織田信長のような男です』(被害者の一人)。もう一つ共通点は、被害者の方も社会的に公けにされたくないことから、裁判で争われることなく、事件にはなっていないことだ。」について
右記事部分は、控訴人の金の稼ぎ方が汚いことを摘示するもので、その社会的評価を低下させるものであることは明らかであるところ、被控訴人らは、右記事部分は、三協を設立した三人のうちの(控訴人以外の)一人及び他の一人の母親から三協設立の経過、事実上の倒産に至る経過、控訴人の人柄などについて、それぞれ一時間、四〇分かけて具体的なことまで聞き、それをもとに他の取材もして真実と判断したものであると主張し、前記認定事実によれば、被控訴人米本は、三協の設立メンバーの一人と他の一人の母親に電話で取材し、三協が三人で設立された経緯や、控訴人が土地取引を媒介にして人と付き合い同人を信頼させておいてとことん利用し、利用価値がなくなれば切り捨てるとの手口により、他人の土地を奪い取っていることを聞いたというのであるが(被控訴人米本は、その本人尋問において、「実際の被害者二人」からの取材と堀川病院の件に基づくものであるとも供述するのであるが、右認定事実及び<書証番号略>によれば、右「実際の被害者二人」とは前記「三協の設立メンバーの一人と他の一人の母親」を指すものと解される。)、具体的な事実についての主張立証が全くなく、裏付けを欠くものといわざるをえないから、結局、真実であることの証明があるとも、被控訴人米本において真実と信ずるについて相当の理由があるともいえず、したがって、本件記事部分(12)及び⑧については名誉毀損の不法行為が成立するというべきである(被控訴人らは、表現が抽象的にならざるをえなかったのは、両者ともに控訴人を恐れており、ニュースソースが漏れないように配慮する必要があったからであると主張するが、本件訴訟においては、人物を特定したも同然といえる「三協を設立した三人のうちの(控訴人以外)一人及び他の一人の母親」という形でニュースソースを明らかにしており、「ニュースソースが漏れないよう」な配慮は放棄しているのであるから、控訴人の金の稼ぎ方についての右記事部分のような抽象的表現の基礎になっている具体的な事実の主張立証もなしえたはずである。)。
13 本件記事部分(13)及び⑬「一、二年前、西山は伊丹市で遺産相続でモメていた物件を三億円で買い取った。『そしたら、蔵の中に絵画、骨とう品が山のようにあった。それで彼はごっつうもうけた。遺族が返せ、といっても知らん顔をすればいい。公けにできんさかい』(不動産屋)。五十年から始めた書画、骨とう事業も、この手口で集めた品々が元になっているのだろう。現在、三協西山の本社には有名な絵画、掛軸が多数置かれている。『頭の回転がずばぬけて早い』(弁護士の評価)西山の得体の知れなさは、伊丹で取得した数千点の品を伊丹の柿衛文庫に寄託し、市長、教育長から感謝状をもらっていることにもあらわれている。」について
右記事部分については、必ずしも控訴人の社会的評価を低下させるものとはいい難いが、何らかの否定的評価を含んでいるとしても、前記認定事実によれば、被控訴人米本は、ある不動産屋から、兵庫県伊丹市の相続でもめている物件を控訴人が買い取ったところ、その蔵の中に松尾芭蕉当時の俳句に関する重要資料が多数存在していたことから、控訴人はたいへん儲けたかたわら、美術品を伊丹市に寄託して、伊丹市から感謝状をもらったとの話を聞いたというのであり、被控訴人米本本人尋問の結果によれば、右の地元の不動産業者のほか、政界、財界に通じている人、塚本から聞いた話に基づくものであるところ、控訴人本人尋問の結果によれば(その供述は、必ずしも明確ではないが。)、三協西山は、昭和五八年に、伊丹市の旧家である岡田家の土地、蔵を含む建物、蔵の中の物を含めた遺産全部を、四人の相続人からその相続分を順次買い取る形で、六億円で買い取ったうえ(相続人は合計三億円前後の相続税と一億円程度の譲渡所得税を支払った。)、土地は伊丹市に八ないし九億円で売り、建物のうち住居は取り壊し、文化財に指定された蔵は伊丹市に寄付し、蔵の中には俳諧のコレクションとして日本の三指に入るコレクションなどがあったので、そのうち一〇〇点や二〇〇点は三協西山の事務所に残し、その他は所有権を三協西山に残したまま伊丹市の柿衛文庫に寄託したことが認められるから、主要な点において真実であることの証明があり、したがって、本件記事部分(13)及び⑬については名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
控訴人は、「五十年から始めた書画、骨とう事業も、この手口で集めた品々が元になっているのだろう。」との部分は、控訴人が書画、骨董を買ったことがないと断定するもので、控訴人に対する反感が露骨に現れていると主張するが、そのように解することはできない。右控訴人本人尋問の結果によれば、三協西山は、岡田家の土地、蔵を含む建物、蔵の中の物を含めた遺産全部を、四人の相続人からその相続分を順次買い取る形で、六億円で買い取ったというのであるから、蔵の中のコレクションを一点一点評価したうえで買い取ったとは考えられず、したがって、蔵の中のコレクションについてみれば、被控訴人らのいう「蔵買い」(蔵に集めた書画、骨董品、古文書などを、予め値踏みせずに蔵の中身全部を買うこと)ということができ、そして、<書証番号略>によれば、被控訴人米本は、右岡田家の遺産の件と、昭和五〇年前後に控訴人が「蔵買い」をした品を控訴人から依頼を受けて鑑定した旨を、当の鑑定をした人物から聞いたことに基づき右記事部分のような推測をしたことが認められるから、右記事部分については、少なくとも被控訴人米本において真実と信ずるについて相当の理由があるというべきである。
14 本件記事部分(14)「古都税問題が騒がれている頃、西陣織物会館の近くにある堀川病院で乗っ取り事件が起こっていた。理事長だった早川一光は、老人ボケ対策でも全国的に有名な人である。事件の詳細は省くが、乗っ取りの張本人は西山正彦であった。このときに西山が使った手口は内部の四人の若手医師を組織したことである。医者を通し、人事にも介入しようとしたことさえある。それらの医者から西山を紹介された早川らは一時信頼を寄せたこともあった。幸い、西山の正体を見破り、乗っ取りは未然に防がれた。当時の関係者は西山の策謀を『乗っ取り以外に考えられない』と口をそろえる。若手医師と西山がつながったきっかけは、やはり不動産取引である。その医者は一乗寺葉山にある西山の自宅のすぐ近くにいる。公けにされたくないため堀川病院が取材を拒否しているが、一つだけ付記しておくと、西山と手を切る過程で三協西山の社員から嫌がらせが執拗に続き、警官を呼んだことも一度や二度ではなかった。」について
被控訴人米本本人尋問の結果によれば、右記事部分は、いずれも前記認定にかかる、堀川病院問題を担当した山下弁護士及び高島弁護士、堀川病院の当時の橋本事務局長からの取材に基づくものであることが認められるところ、<書証番号略>弁論の全趣旨によれば、右取材に対する山下弁護士及び高島弁護士、橋本事務局長の前記応答の内容は信用することができ、右記事部分は少なくとも主要な点において真実であると認められ、「乗っ取り」という表現についても、右事実関係に基づく論評、意見表明としての域を逸脱しないものというべきであるから、本件記事部分(14)については名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
15 本件記事部分(15)「京都仏教会設立時に、西山がこの手口を使ったのは間違いない。そして人事を固めた。財団法人が認可されれば、一千八百カ寺の会員を持つこの財団法人の人事は西山派で固められ、自由に操作できる。」について
右記事部分にいう「この手口」とは、堀川病院事件において内部の四人の若手医師を組織し、このグループを通じて人事にも介入しようとしたこと(「乗っ取り」とも論評される。)を指すものと解される。被控訴人米本本人尋問の結果によれば、右記事部分は、控訴人が古都税問題を解決するときに仏教会の財団法人化に固執したこと、京都府仏教会と京都市仏教会とが発展的に解消して京都仏教会になるときの人事問題で強引なことが行われたこと、堀川病院で行われたと同じことが行われつつあることに基づくものであるところ、前記認定事実によれば、被控訴人米本の取材に対し、当時の仏教会事務局長である鵜飼は、「人間がひとつの組織を支配する場合には、組織の一番上の人間と親しくなって、その人間を自由に操るようにすればよい」と話して、控訴人と仏教会の関係を示唆したほか、昭和六〇年はじめの仏教会の人事はかなり強引にされた経緯があり、従来は代議制民主主義の形がとられていたのに、今回の人事は観光寺すなわち古都税で税金をかけられる寺が中心となっており、その中には控訴人と非常に親しい人が多く入っている(東伏見、松本、清瀧、安井、大西、佐分)ことが特徴で、このような形では仏教会は一七五〇か寺加盟しているのに観光寺約一〇〇か寺が仏教会を代表しているようになってしまうとの話をしたというのであり、更に、<書証番号略>及び証人鵜飼の証言によれば、控訴人は昭和六〇年二月ないし四月頃仏教会の財団法人化に非常に熱心であり、また、財団法人京都仏教会設立に向け、昭和五九年五月二四日(第一回)、同年六月一九日(第二回)に財団法人京都府仏教会設立発起人(会)・京都市仏教会事業促進委員(会)合同会議が開かれ、昭和六〇年四月六日(第三回)、同月九日(第四回)に財団法人京都仏教会設立発起人会が開かれたが、第三回以降の発起人一一名(松本、有馬、大島、清瀧、荒木、大西、片山、多紀、長尾、五十部景秀、川村俊朝)は、第二回までの京都府仏教会側の発起人一五名(東伏見、松本、田原、奥田光信、多紀、田辺瑚海、藤原一春、野田英隆、水谷幸正、稲田尚、盛井了道、塩見明徳、信ケ原良文、藤田尚慈、梨本哲雄)及び京都市仏教会側の事業促進委員一〇名(五十嵐隆明、大島、安井、青木正道、中野玄光、大西寛○〔一字読み取り不能〕、今村要道、爾文敬、長尾、有馬)とは大きく異なり、そのほとんど全員が昭和六〇年四月一日付で京都府仏教会と京都市仏教会が統合して発足した京都仏教会の理事等の役員(前記三の(六)の認定参照)と同じ人物で占められていることが認められるところ、財団法人設立の発起人が設立後の財団法人の理事等に就任するものとみられ、したがって、財団法人設立後においても、その理事等は観光寺が中心となり、控訴人と非常に親しい人(松本、清瀧、大西)が大きな力を持つものと推定するのは合理的根拠があるといえるから、本件記事部分(15)については、仮に何らかの控訴人の社会的評価を低下させることがあるとしても、その主要な点において真実であることの証明があり、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
16 本件記事部分(16)及び⑩、⑭、⑮「『財団法人化』が要になっているのである。東本願寺の高僧は『財団法人ができれば、それ自体が権力を持ち一人歩きする。任意団体のままでよい』と反対し、脱税の温床、『伏魔殿になりかねない』(弁護士)財団法人の認可を行政はしぶる。」、「登記もれの土地が山ほどある。」、「一つは、早川一光に、財団法人が認可された際、共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけていることだ。これがヒントである。おそらく狙いは『ボロもうけができる』(病院関係者)老人ホームであろう。敷地は寺にゴロゴロしている。三協西山が介在すれば、相当な金を手にすることができる。資金を出すのは財団法人で、土地を提供するのは寺である。」、「もう一つは、寺は登記もれの土地を相当にもっているし、個人名義の土地もあるということだ。」、「西山が狙っているのは、その広大な土地だよ。中江(投資ジャーナル)、永野(豊田商事)とスケールが違う。しかも、二人は法に反したが、西山は法に反していない」(金融業者)、「清水寺など観光寺が個人名義、登記もれの土地をどれだけ持っているかは、誰にも分からない。清水寺の七人の僧とて、松本、大西を除けば知らないだろう。その土地が密かに他人の手に渡ってもすべては闇の中である。」について
右記事部分は、
Ⅰ 財団法人についての一般論を述べる部分(「『財団法人化』が要になっているのである。東本願寺の高僧は『財団法人ができれば、それ自体が権力を持ち一人歩きする。任意団体のままでよい』と反対し、脱税の温床、『伏魔殿になりかねない』(弁護士)の財団法人の認可を行政はしぶる。」)、
Ⅱ 控訴人が仏教会の財団法人化を図る目的は、一つには、早川に財団法人が認可された際に共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけていることから分かるように、寺が土地を提供し、財団法人が資金を提供することにより老人ホームを建設し、「ボロもうけ」をすることにあるとする部分(一つは、早川一光に、財団法人が認可された際、共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけていることだ。これがヒントである。おそらく狙いは『ボロもうけができる』(病院関係者)老人ホームであろう。敷地は寺にゴロゴロしている。三協西山が介在すれば、相当な金を手にすることができる。資金を出すのは財団法人で、土地を提供するのは寺である。」。なお、この部分の記述の仕方は、「狙いは『ボロもうけができる』老人ホームであろう。」というものであるが、一般読者には右のように読まれると認められる。)、及び、
Ⅲ 寺は登記漏れや個人名義の土地を相当持っており、例えば清水寺など観光寺ではそのような土地の存在は極一部の者にしか知られていないため、その登記漏れや個人名義の土地が密かに他人の手に渡っても一般に知られることはないとして、控訴人が仏教会の財団法人化を図る目的のもう一つはそれらの土地を合法的に手に入れることにあると示唆する部分(「登記もれの土地が山ほどある。」、「もう一つは、寺は登記もれの土地を相当にもっているし、個人名義の土地もあるということだ。」、「西山が狙っているのは、その広大な土地だよ。中江(投資ジャーナル)、永野(豊田商事)とスケールが違う。しかも、二人は法に反したが、西山は法に反していない」(金融業者)、「清水寺など観光寺が個人名義、登記もれの土地をどれだけ持っているかは、誰にも分からない。清水寺の七人の僧とて、松本、大西を除けば知らないだろう。その土地が密かに他人の手に渡ってもすべては闇の中である。」)
に分けられるところ、Ⅰの財団法人についての一般論を述べる部分は、論評、意見表明としての域を逸脱しないものとして名誉毀損の不法行為は成立しないというべきであるが、仏教会の財団法人化の目的を述べるⅡ及びⅢの部分は、控訴人が古都税問題に関わり特に仏教会の財団法人化を図る目的は、純粋に古都税に反対するためではなく、老人ホーム建設により「ボロもうけ」をすることと、寺の登記漏れや個人名義の土地を合法的に手に入れることにあると示唆するものであって、控訴人の社会的評価を低下させるものということができる(なお、「清水寺」以下の部分は、「西山が狙っているのは、その広大な土地だよ。」という部分に続く記述であり、その個人名義、登記漏れの土地が密かに控訴人の手に渡っても公の知られることはないと示唆するものであることは明らかである。)。
しかして、老人ホーム建設の点については、<書証番号略>によれば、控訴人が早川に共同で社会福祉事業をやろうと持ちかけたとの話を聞いたのは、前記の山下弁護士、高島弁護士、高島弁護士に見せてもらった早川の手紙、鵜飼のいずれかであるというのであり、<書証番号略>によれば、控訴人は、堀川病院の若手医師角谷増喜を通じて、岩倉地区に「エステート・イン・洛」という、診療所を併設した老人マンションを建設したいので堀川病院でその診療所を担当してほしいとの申入れをし、堀川病院内でも日下副院長が検討を進めていたが、昭和五九年三月二四日に堀川病院の増改築問題に絡み早川院長が控訴人に渡した前記念書が同年六、七月頃堀川病院内で問題とされるに至って、右診療所に堀川病院自体が関与する話は壊れたこと(代わって、控訴人の紹介で、昭和六〇年一〇月頃から角谷ら若手医師がアルバイトでしばらく勤めた。)、早川院長も、日下副院長が検討を進めていることを聞いたことがあることが認められ、このように、控訴人が直接早川に申し入れたことまではこれを認めるに足りる証拠はないものの、早川が院長をしていた堀川病院に対して、診療所を併設した老人マンションを建設したいので堀川病院でその診療所を担当してほしいとの申入れをしたという裏付けがあり、そして、証人鵜飼の証言によれば、仏教会の財団法人化については昭和五八年の終わり頃から具体的に動きはじめていたことが認められ、現に、前示のとおり昭和五九年五月二四日及び同年六月一九日には財団法人化に向けて発起人等の合同会議が開かれているのであるから、主要な点において証明があったというべきである(控訴人は、堀川病院の増改築問題で控訴人と早川とが決定的に対立したのは昭和五九年六月であり、京都仏教会が設立されたのが昭和六〇年四月、財団法人化の動きはその前後であるから、「財団法人が認可された際」などという話を持ちかけられるわけがないと主張するが、右事実関係に照らし採用の限りでない。)。そして、「ボロもうけ」との表現についは、論評、意見表明としての域を逸脱しないものとして許されるというべきであり、結局、仏教会の財団法人化の目的の一つである老人ホーム建設の点についは、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
しかし、財団法人化のもう一つの目的が寺の登記漏れや個人名義の土地を合法的に手に入れることにあるとの点については、前記認定事実によれば、被控訴人米本は、昭和六〇年八月一三日、京都の政界、財界に通曉していて、塚本から紹介を受けた控訴人をよく知っている人物から、仏教会の財団法人構想や控訴人の目的などを聞き、控訴人は社会福祉施設、寺の土地、財団法人の三つを利用して寺の土地を手に入れる計画をしているのではないかという同人の推測を聞いたというのであり、被控訴人米本本人尋問の結果によれば、右記事部分は、右人物の話のほか、被控訴人米本が登記簿謄本をとるときに近くの司法書士から登記漏れの土地がたくさんあると聞いたこと、前認定のとおり、堀川病院問題について取材した山下弁護士から、ある事件で土地登記簿謄本をくまなくとったところ、清水寺の大西良慶ないし大西真興名義の登記簿謄本があり、意外なところに清水寺の飛び地があることに驚いたと聞いたこと、公益法人の九十何パーセントが税金がらみで不祥事が起こっていると毎年新聞に出ていること、東本願寺の僧に聞いた話、弁護士から聞いた話などや、それにこれまでの一連の取材の流れから、控訴人がなぜ仏教会に入り込んだかについては、右記事部分のようなこと以外は考えられないということで記述したというのであり、更に、<書証番号略>によれば、これに加えて、被控訴人米本の取材に対し清水寺の僧侶である福岡自身が個人名義を含めて清水寺の土地がどれだけあるか分からないと話したこと、鵜飼の話、堀川病院での出来事、控訴人の本業が不動産業であること、寺所有の土地が公開されていないことを挙げるのであるが、これらの諸事情を総合しても、単なる憶測の域を出ず、合理的根拠があるとはいい難いから、未だ真実であることの証明があるとも、被控訴人米本において真実と信ずるについて相当の理由があるともいえず、名誉毀損の不法行為が成立するというべきである。
17 本件記事部分(17)及び⑦、⑰「日本人を見返してやりたい、」「魑魅魍魎然とした構造の核は『西山先生』である。本名西山正彦。年齢は昭和二十一年生れの三十八歳。朴銀済が五十八年二月に帰化するまでの朝鮮人名である。」、「西山の少年時代は悲惨だった。父の仕事は山に発破をかける仕事だった。西山は父と共に行動した。一つの仕事が終われば、また次の山へという生活だった。定住地はなかった。」、「四十年に卒業してから、看板屋など職業を転々とした。おそらく就職差別に苦しめられたことだろう。姉と妹がいるが、日本人から差別された点では姉の方がもっと激しかった。店を借りようにも、朝鮮人というただ一点の理由で、何度か足蹴にされたという。いわれなき差別、屈辱的言辞。姉から話を聞き、西山は怒り狂い、『日本人を見返してやりたいと考えるようになった』(知人)という。」、「野望を遂げたとき、屈辱的差別を受けた西山の執念は晴らせるのか。」について
右記事部分は、控訴人の社会的評価を低下させるものとは認められないから、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
18 本件記事部分⑤「だが、性急に解決を求める塚本に見切りをつけた。恐らく、おいしい情報はもらったはずだ。『西武など大手がどこを狙っているか、情報は仕入れたはずだ。それで宝ケ池の後方の岩倉地区で土地を買い漁っているのかも知れない』(地元の不動産屋)」について
右記事部分は、前記9のとおり、控訴人の目的は古都税問題を利用して塚本に接近し「塚本を男にする」ことによって親密(ツーカーの仲)になることであり、そうすれば塚本の持っている不動産に関する有利な情報を得ることができ、控訴人の本業である不動産業(三協西山)が飛躍的に発展するとして、要するに、控訴人が古都税に反対する純粋な気持ちから信教の自由を標榜する仏教会を指導しているのではなく、不動産に関する有利な情報を得るために古都税問題を利用しているとの印象を与える本件記事部分(9)に引き続き、実際にも、控訴人が塚本から、西武など大手の業者がどこの土地を狙っているかなど、「おいしい」情報をもらったはずであると断定するものであって、本件記事部分(9)同様に控訴人の社会的評価を低下させるものというべきである。
被控訴人らは、右記事部分は、地元の不動産屋と控訴人をよく知っている人から取材した事実であり、被控訴人米本は、控訴人が岩倉の土地を買っているという裏付けを取ったうえで真実と判断したと主張し(<書証番号略>には同旨の記載がある。)、更に、宝ケ池は風致地区であり西武プリンスホテルの進出は塚本が誘致し尽力して実現した経緯があり、塚本と親交のあった控訴人が同人から情報を入手し、発展が期待される後方の岩倉地区の入手を考えるのは不動産業者として当然のことであるとも主張するが、これらの事実を併せ考えても、本件記事部分⑤については単なる憶測の域を出ないといわざるをえないから、未だ真実であることの証明があるとも、真実と信ずるについて相当の理由があるともいえず、名誉毀損の不法行為が成立するというべきである。
19 本件記事部分⑨「当然、相続税が問題となる。息子の真興にこのとき西山がからんだのが京都仏教会との関係の実質的スタートと見られる。」及び本件記事部分⑪「清水寺の場合、拝観料が年間三億円、その他収入で一億五千万、合わせて四億五千万円。(中略)人件費に約一億七千万円。残る二億八千万円は全て無税で、しかもどのように使われているかは全く不明だ。」について
右各記事部分は、いずれも控訴人の社会的評価を低下させるものとはいえないから、控訴人に対する名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
20 本件記事部分⑯「相国寺の会場は異様な感じであった。会場に入るといきなり記帳を求められた。これまで一度もなかったことだ。」について
右記事部分については、対象寺院会議がそれまで何回も開かれていながら、着席する前にまず出席者全員が署名をさせられ、座席も指定されていたのは八八和解当日の対象寺院会議が初めてであったことは前示のとおりであり、普通とは違う雰囲気であったことも容易に推測することができるから、真実であることの証明があったということができ、名誉毀損の不法行為は成立しないというべきである。
六右五項において検討したところによれば、本件記事のうち、本件記事部分(7)のうちの「拝観停止を行った四人組の関連寺院だけに、期間中、西山から補償金として金が流れたという話も伝わっている。もう一つ、符合するのは西山が妻の芳子に、あるとき『欲の深い坊主らに、机の上にどんと三十億円積んだら、びっくりするやろな』と語り、二人で高笑いしたということだ。」との部分、本件記事部分(9)のうちの「西山と塚本とが接近した理由は何か。」、「一方、西山の当初の狙いは、塚本を男にすることによって太いパイプをつくることにあった。」、「おいしい情報は山ほどある。ツーカーの仲になれば、正業としての不動産業も飛躍的に伸びる。」との部分、本件記事部分(10)及び⑥「西山と大宮が結ばれる仲介人は誰か。」「大山進。本業は不動産屋。日本興業の社長である。本名は鄭性根。四十過ぎの小太りの男。『得体の知れない怪物』(不動産屋)である。所有不明のすりばち池を無断で埋め立て売買して問題となったすりばち事件の黒幕であり、バックに怖い団体を持つ人物として恐れられている。大山と西山は同胞として旧知の間柄である。大山を通して大宮に近づき、信頼させ、そして仏教会のメンバーに紹介した。『何有荘の件は知らなかったが、それだと合点がいく』と地元記者もうなずく。」、本件記事部分(12)及び⑧「金を稼いでゆく手口には今回の西山の動きの原始的パターンが見られる。西山商法の被害者の一人は、不動産の仲介をしてもらったことから西山と知り合い、信用し、金を貸した。しかし、返済されず、この人は世間体からも公けにすることができず、弁護士を間に立て、一年かけて元金だけを取り返すことができた。三協をつくった三人のうち一人は、自分の土地を取られている。自分も代表役員の一人であったため、問題にすることはできなかった。こうした話は随所で聞いた。詳細は省くが、共通しているのは、不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするパターンだ。『この方式で城を拡大していった。織田信長のような男です』(被害者の一人)。もう一つ共通点は、被害者の方も社会的に公けにされたくないことから、裁判で争われることなく、事件にはなっていないことだ。」、本件記事部分(16)及び⑩、⑭、⑮のうちの「もう一つは、寺は登記もれの土地を相当にもっているし、個人名義の土地もあるということだ。」「西山が狙っているのは、その広大な土地だよ。中江(投資ジャーナル)、永野(豊田商事)とスケールが違う。しかも、二人は法に反したが、西山は法に反していない(金融業者)、「清水寺など観光寺が個人名義、登記もれの土地をどれだけ持っているかは、誰にも分からない。清水寺の七人の僧とて、松本、大西を除けば知らないだろう。その土地が密かに他人の手に渡ってもすべては闇の中である。」との部分、本件記事部分⑤「だが、性急に解決を求める塚本に見切りをつけた。恐らく、おいしい情報はもらったはずだ。『西武など大手がどこを狙っているか、情報は仕入れたはずだ。それで宝ケ池の後方の岩倉地区で土地を買い漁っているのかも知れない』(地元の不動産屋)」について、控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立し、その余の部分については右不法行為は成立しないということになる。
したがって、被控訴人米本及び被控訴人田代は、右不法行為につき共同不法行為者として、被控訴人講談社は被控訴人田代の使用者として、その責任を免れないものといわなければならない。
そして、本件に現れた一切の事情を勘案すれば、被控訴人らに対し、右不法行為により毀損された控訴人の名誉を回復する措置として、控訴人の請求内容に徴し、別紙第一目録記載の謝罪広告を、被控訴人講談社出版の「現代」に、一頁の三分の一の大きさをもって、同目録記載の「謝罪広告」とある部分は二倍ゴシック体活字を、その余の部分は1.5倍明朝体活字を用いて一回掲載することを命じ、かつ、連帯して控訴人に慰謝料五〇万円及びこれに対する不法行為の後の日である昭和六〇年一〇月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを命ずるのが相当と認められ、控訴人の本件請求にかかる謝罪広告及び慰謝料の請求中その余の部分はいずれも理由がないというべきである。
(控訴人は、謝罪広告文として別紙第二目録のとおり請求するが、同文は、本件記事部分(1)ないし(17)及び本件記事部分①ないし⑰のすべてにつき名誉毀損が成立することを前提としたものであるから、これをそのまま採用することはできない。しかし、本件記事が八八和解の成立に至る不透明な過程、仏教会の内情、控訴人の仏教会への関与態様等を明らかにする目的で、控訴人の人物像を中心とした古都税問題の真相ということをテーマにしたのもであることは前記四末段説示のとおりであるが、そのような意図で筆を進めるうち、控訴人の金儲けの手口は、不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするというものであり、控訴人が古都税問題に関与しているのも、同じ手口で自己の利益を図るためであるが如くに結論付けたものであるところ、前認定の本件記事部分中名誉毀損の不法行為が成立する部分は、個々にも、また本件記事の全文脈中の位置付けからみて、本件記事の右のような結論を導くに直接関与していると考えられるので、右名誉毀損部分が真実に反することにより、ひいて右結論部分それ自体が真実に反したものとなっているので、その趣旨を明らかにすべく、別紙第一目録のとおりとするのが相当である。)。
七よって、右と異なる原判決を控訴人の本件控訴に基づき右の趣旨に変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条(主文第一項2につき)を各適用して、主文のとおり判決する(なお、主文第一項1については、相当でないから仮執行の宣言を付さないこととする。)。
(裁判長裁判官潮久郎 裁判官山﨑杲 裁判官水野武)
別紙第一目録
謝罪広告
私どもは、月刊「現代」昭和六〇年一〇月号において、「独占スクープ、清水、金閣を手玉にとった男 怪商・西山正彦が京を牛耳る」という見出しの記事を掲載しましたが、右記事中、西山正彦氏の金儲けの手口は、不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするというものであり、同じ手口で、自己の利益のために古都税反対運動に関わっているという趣旨の部分は、事実に反するものでありました。
右記事により西山正彦氏の名誉を傷つけたことをお詫びします。
平成 年 月 日
東京都文京区音羽二丁目一二番二一号
出版者 株式会社講談社
代表取締役服部敏幸
月刊現代編集人 田代忠之
ルポライター 米本和広
西山正彦 様
別紙第二目録
謝罪広告
弊社は、月刊「現代」昭和六〇年一〇月号において、「独占スクープ、清水、金閣を手玉にとった男・怪商・西山正彦が京を牛耳る」という見出しの下に、西山正彦氏の金儲けの手口は、不動産取引で知り合い、親切にすることで信頼を得、徹底的に利用し、最後は足蹴にするというものであり、同じ手口で、古都税反対運動にかかわり、自己の利益のために、京都仏教会の幹部を利用しているという趣旨の記事を掲載しまたが、これらはすべて事実に反するものであります。
また、柿衛文庫の件及び細川病院の件についても、全く事実と相違する記事を掲載しました。
右記事により、西山正彦氏の名誉を著しく毀損しましたことを、西山正彦殿、御家族、関係者各位に深く陳謝致しますとともに、右記事中、随所に、西山正彦氏に対する中傷的表現があったことも併せておわび申し上げます。
平成 年 月 日
東京都文京区音羽二丁目一二番二一号
株式会社講談社
右代表者代表取締役 服部敏幸
同 野間佐和子
月刊現代編集人 田代忠之
ルポライター 米本和広
西山正彦 様